DJ OSSHY TOKYOの未来に恋してる!
安心・安全・健康的なディスコ・カルチャーを伝達することを使命とするDJ OSSHYのインタビュー連載
第19回 【対談① 角松敏生×DJ OSSHY[前編]】
TOSHIKI KADOMATSU × DJ OSSHY Dance Party 2016@act square
写真提供:ビーンズ/エス・オー・プロモーション
── DJ OSSHYの連載「TOKYOの未来に恋してる!」がこの夏から新しい“対談”シリーズに突入します。今日はその最初の対談ゲストにふさわしいミュージシャンにお越しいただきました。
角松敏生さんです!
DJ OSSHY 角松さん、こんにちは!
角松 こんにちは。今日はOSSHYの最初の対談相手にご指名頂きありがとうございます!
DJ OSSHY お会いするのはずいぶん久しぶりですよね。たしか去年の『SEA IS A LADY 2017』のツアーでご挨拶して以来です。
角松 そんなに会ってない? OSSHYさんのことはよく周りから聞いているから、久しぶりという感じしないけど(笑)。
── そもそもお二人の最初の接点ってどこからですか?
DJ OSSHY 以前から一方的に知ってはいるのですが、きちんとお話させていただいたのは、僕がMXテレビでやっている『Disco Train』という番組にゲストで出てもらったのが初めてです。角松さんのアルバム『THE MOMENT』のプロモーションのときだから、2014年ですよね。
角松 そうそう、あのときはプログレっぽい大作アルバムだったんだけど、ゲストで呼んでもらったんですよ。「やっと会えるな」って。僕はOSSHYさんの名前だけは聞いていたんです。けっこう僕の曲をかけてくれているっていう話も。
DJ OSSHY 僕は日本でいちばん角松敏生の曲をディスコでかけているDJですから(笑)。最初に角松さんのことをすごいなって思ったのは、1984年の『AFTER 5 CLASH』からです。あまりのサウンドのカッコよさに衝撃を受けたんですよ。その後『T's 12 INCHES』(1986年)でさらに打ちのめされました。これはもう、全曲洋楽と一緒にフロアで踊らせられると思いました。
── すごく力が入っていますね(笑)。
角松 いつも会うたびにそうやって力説してくれるんですよ(笑)。
DJ OSSHY 当時はまだ日本語の曲をディスコでかけられる雰囲気ではなかったんですよ。新宿はまだそういう文化はあったけれど、特に六本木エリアは洋楽以外はかけちゃいけないという雰囲気だった。でも僕はひそかに角松さんをかけ続けて、今に至ります(笑)。
角松 OSSHYさんが曲をかけてディスコで踊らせたいと思うのと一緒で、僕もフロアでかけて踊ってもらえる曲を作りたかったんですよ。ディスコでかかる曲っていうのは、あの頃のひとつの目標だったから。
DJ OSSHY それで、初めてお会いしたときにはそういった積年の思いをガーッと語ってしまいましたね(笑)。
角松 だから、これがDJとミュージシャンの理想的な関係だと思うんだよね。僕はフロアでかけてもらいたい曲を作り、DJはそのメッセージを受け止めてフロアで盛り上げてくれる。ラジオで自分の曲がかかるのも嬉しいんだけど、やっぱりディスコでDJがかけてくれることが嬉しかったな。
TOSHIKI KADOMATSU × DJ OSSHY Dance Party 2016@act square
写真提供:ビーンズ
── そうやって出会った2人が、2016年に恵比寿のact squareで行われた「TOSHIKI KADOMATSU × DJ OSSHY Dance Party 2016」で共演するんですよね。
DJ OSSHY あれは事件といってもいいくらい大きな出来事でした。
── あのイベントのきっかけは?
角松 最初は僕が言い出したんですよ。そのアイデアはずっと前からあって、2003年くらいにウェスティンホテルから、なにかイベントができないかって相談されて、ファンクラブ向けにDJを入れてライヴをやったんです。でも、全然盛り上がらない(笑)。やっぱり角松敏生のライヴを観に来ているので、ディスコ・タイムに誰も踊ってくれないんですよ。4日間やって最終日だけ少し盛り上がったんだけど、もうスタンディングはさすがにきついのかなあと思いましたね。
DJ OSSHY その話をお会いしたときに聞いて、「いやいや、今大人のディスコが流行ってるんですよ」って言って、一度現場を見ていただこうと思って、僕が恵比寿で主催している「ダイナスティ」というディスコ・イベントに来てもらったんですよね。
角松 そう、そしたらめちゃくちゃ盛り上がっているし、40代、50代の人たちがめちゃくちゃ元気なんだよ。あれ~、いるところにはいるんだなあって。OSSHYさんのイベントに来ているお客さんは、踊ることもそうだけどその時代の音楽やファッションも含めてカルチャーを楽しもうとしているって感じがしましたね。
DJ OSSHY その後、何度か飲みに連れて行っていただいて、角松さんがDJとの共演を考えているという話を聞いたんですよ。それで僕も盛り上がっちゃって、手を挙げて「この企画は武道館まで持っていきましょう!」なんて言いましたよね(笑)。
角松 無駄話も多かったけれど(笑)、OSSHYさんも本気でやるっていうから、これは具体化しようと思って。それで、DJがかける曲とライヴが一曲ごとにクロスする、いわゆるバック・トゥ・バックというスタイルでできないかと考えたんですよ。ノンストップでバンドとDJが交互に音楽を聴かせていくっていう。
TOSHIKI KADOMATSU × DJ OSSHY Dance Party 2016@act square
写真提供:エス・オー・プロモーション
── ライヴとDJのコラボレーションというと、バンドとバンドの転換でDJが入るというイメージですが。
DJ OSSHY 僕もライヴのつなぎでDJをやることはあったんですが、バック・トゥ・バックなんてやったことは当然ないし、ディスコの歴史でも間違いなく初の試みなんですよ。角松さんはいつの時代も新しいアイデアを考えていらっしゃるんだけれども、今回も画期的なことを考えるんだなあと思って「是非参加させてください」とお願いしたんですよね。
角松 でもこれが、口でいうほど簡単なことではないんですよ。当然、レコードと生演奏では音圧が違いますからね。それで準備したのは、OSSHYさんが選曲したレコードの音源を一度コンピューターに取り込んで、ドラムを重ねて打ち込んでいったんです。そうすれば、今のバンドの音圧に近付けられますからね。アナログ当時はまだ生演奏が多かったから、BPMも一定じゃなかったりするので、そこも整えたりして、かなり手を加えました。
DJ OSSHY そのクオリティの高さにはたまげましたよ。僕もレコードと生演奏の音圧の差は課題だなと思っていたので。いつもライヴの合間にDJで入ると、急に音がしぼんだようになったりするので、どうすればいいかなって考えていたんですよ。でも角松さんは、レコードの音源をすべてオリジナルの雰囲気に忠実にリミックスして解決した。すごく音圧が太く膨らんでいて、レンジも全然違ってました。実際、お客さんもまったく違和感がないって言ってましたから。
角松 あとは、人力でクロスすることにもこだわりましたね。今はコンピューターがあるので、わざわざDJがいなくても、ライヴとレコードの音を交互に出すことは簡単なんですよ。でもそれだと意味がない。だから、あえて頭出しやつなぎはOSSHYさんにやってもらいました。
DJ OSSHY 思わず「ひょっとして、これ、僕が音を出すんですか?」って言いましたもんね(笑)。
角松 「もちろんだよ、だってDJなんだから」ってね(笑)。
TOSHIKI KADOMATSU × DJ OSSHY Dance Party 2016@act square
写真提供:ビーンズ/エス・オー・プロモーション
DJ OSSHY しかし、リハーサルからしびれましたね。かなり入念に行って、角松さんの高いプロ意識を感じられましたから。
角松 初めての試みだし、タイミングを逃したら一瞬でズレてしまうからね。
DJ OSSHY だってミスったら赤っ恥じゃないですか。もちろん、そうなったら角松さんのバンド・メンバーがフォローしてくださるんだろうけど、めちゃくちゃプレッシャーでしたね。バンド・メンバーと自分の対決というような感じで。結果的に本番では上手くいってホッとしました。
角松 クロスフェードの部分は、厳密に言うと微妙にズレたりもするんですよ。でも、それが生々しくて、コンピューターだとそういう味は絶対に出せない。そこがまた良かったんですよね。人力の良さにこだわりたかったし。
DJ OSSHY そういうところからグルーヴは生まれますから。もともとディスコの曲は生演奏の揺れがあるので、それがうねりになって大きなグルーヴになるんですよ。アナログ感覚というかね。
角松 それがやっぱりライヴの醍醐味だよね。音を聞かせるだけだったら、やろうと思えば当て振りでも口パクでもいいし、機械でやれば正確かもしれない。でも、それだとまったく面白くないじゃない。あえてOSSHYさんがボタンを押してクロスフェードしていくことに意味があったし、だからこそライヴならではの熱が感じられたんじゃないかな。
TOSHIKI KADOMATSU × DJ OSSHY Dance Party 2016@act square
写真提供:エス・オー・プロモーション
── 実際のイベントの様子や反応はどのようなものだったんですか。
DJ OSSHY 当然、すごく盛り上がりましたよ。
角松 最初はLADY-KというDJに入ってもらって、その後OSSHYさんのDJタイムがあって、僕のライヴとクロスしていくという演出だったんです。DJタイムはどうせそんなに盛り上がってないんだろうなあと思っていたら、あっという間にみんな踊ってくれていて。やっぱりDJだからうまいんですよね、盛り上げ方が。僕の曲もうまくかけてくれたりなんかして。
DJ OSSHY お客さんの入りもすごかったですよね。熱気があって。
角松 嬉しかったのは、僕のファンもOSSHYさんのDJで気持ちよさそうに踊ってくれていたこと。当然ディスコという打ち出しをしていたから、そういうお客さんが来てくれたというのもあるけれど、自分がステージに立つまでしっかりと温めてくれていたので、ライヴもとてもやりやすかったですよ。
DJ OSSHY 本当にしびれましたよ。僕のDJ人生の中でも間違いなくトップの出来事ですから。今は真面目に武道館への道を考えていますよ。
角松 武道館かどうかはともかく(笑)、第二弾は絶対にやりたいよね。盛り上がったし上手くいったんだけれども、課題もたくさんできたから、そこをひとつひとつクリアしていかないといけないけれど。会場やキャパの問題もそうだし、経費などもそう。やるからにはお客さんが満足して、なおかつきちんとビジネスにならないといけないから。でも、いつかは実現させたい。
DJ OSSHY ぜひやりましょう!本当に画期的な音楽エンタテインメントの形になっていくと思います。
角松 じゃあ、まずは飲みに行かないとね(笑) [中編に続く]
インタビュー・文/栗本斉
●角松敏生(かどまつとしき http://www.kadomatsu.jp/)
本名同。1960年、東京都出身。1981年6月21日シングル「YOKOHAMA Twilight」、アルバム『SEA BREEZE』の同時リリースでデビュー。以後、彼の生み出す心地よいサウンドは多くの人々の共感を呼び、時代や世代を越えて支持されるシンガーとしての道を歩き始める。また、他アーティストのプロデュースをいち早く手掛け始め、特に1983年リリースの 杏里「悲しみがとまらない」、1988年リリースの 中山美穂「You're My Only Shinin' Star」はどちらも角松敏生プロデュース作品としてチャート第1位を記録、今だスタンダードとして歌い継がれている。1993年までコンスタントに新作をリリース、いずれの作品もチャートの上位を占める。年間で最高100本近いコンサート・ツアーを敢行。1997年にNHK“みんなのうた”としてリリースされたAGHARTA(角松敏生が結成した謎の覆面バンド )のシングル「 ILE AIYE(イレアイエ)~WAになっておどろう」は社会現象ともいえる反響を集め大ヒット。1998年2月の<1998 長野冬季オリンピック>閉会式では自らAGHARTAのメインヴォーカルとしてその大舞台に立ち、今や国民的唱歌「WAになっておどろう」が披露され、この映像は全世界に向けて映し出された。 その妥協を許さないスタンスとクオリティで常に音楽シーンの最前線で活動をしている。
角松敏生
『Breath From The Season 2018~Tribute to Tokyo Ensemble Lab~』
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VARIOUS ARTISTS
『レッツ・ディスコ~ノンストップ・ミックス~mixed by DJ OSSHY』
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DJ OSSHY 出演スケジュール
イベントは変更になることもございます。 詳しくはDJ OSSHY公式サイト(www.osshy.com) をご参考ください。
写真提供:ビーンズ/エス・オー・プロモーション
僕は日本でいちばん角松敏生の曲をディスコでかけているDJですから(笑)(DJ OSSHY)
ラジオでかかるのも嬉しいんだけど、やっぱりディスコでDJがかけてくれることが嬉しかった(角松敏生)
── DJ OSSHYの連載「TOKYOの未来に恋してる!」がこの夏から新しい“対談”シリーズに突入します。今日はその最初の対談ゲストにふさわしいミュージシャンにお越しいただきました。
角松敏生さんです!
DJ OSSHY 角松さん、こんにちは!
角松 こんにちは。今日はOSSHYの最初の対談相手にご指名頂きありがとうございます!
DJ OSSHY お会いするのはずいぶん久しぶりですよね。たしか去年の『SEA IS A LADY 2017』のツアーでご挨拶して以来です。
角松 そんなに会ってない? OSSHYさんのことはよく周りから聞いているから、久しぶりという感じしないけど(笑)。
── そもそもお二人の最初の接点ってどこからですか?
DJ OSSHY 以前から一方的に知ってはいるのですが、きちんとお話させていただいたのは、僕がMXテレビでやっている『Disco Train』という番組にゲストで出てもらったのが初めてです。角松さんのアルバム『THE MOMENT』のプロモーションのときだから、2014年ですよね。
角松 そうそう、あのときはプログレっぽい大作アルバムだったんだけど、ゲストで呼んでもらったんですよ。「やっと会えるな」って。僕はOSSHYさんの名前だけは聞いていたんです。けっこう僕の曲をかけてくれているっていう話も。
DJ OSSHY 僕は日本でいちばん角松敏生の曲をディスコでかけているDJですから(笑)。最初に角松さんのことをすごいなって思ったのは、1984年の『AFTER 5 CLASH』からです。あまりのサウンドのカッコよさに衝撃を受けたんですよ。その後『T's 12 INCHES』(1986年)でさらに打ちのめされました。これはもう、全曲洋楽と一緒にフロアで踊らせられると思いました。
── すごく力が入っていますね(笑)。
角松 いつも会うたびにそうやって力説してくれるんですよ(笑)。
DJ OSSHY 当時はまだ日本語の曲をディスコでかけられる雰囲気ではなかったんですよ。新宿はまだそういう文化はあったけれど、特に六本木エリアは洋楽以外はかけちゃいけないという雰囲気だった。でも僕はひそかに角松さんをかけ続けて、今に至ります(笑)。
角松 OSSHYさんが曲をかけてディスコで踊らせたいと思うのと一緒で、僕もフロアでかけて踊ってもらえる曲を作りたかったんですよ。ディスコでかかる曲っていうのは、あの頃のひとつの目標だったから。
DJ OSSHY それで、初めてお会いしたときにはそういった積年の思いをガーッと語ってしまいましたね(笑)。
角松 だから、これがDJとミュージシャンの理想的な関係だと思うんだよね。僕はフロアでかけてもらいたい曲を作り、DJはそのメッセージを受け止めてフロアで盛り上げてくれる。ラジオで自分の曲がかかるのも嬉しいんだけど、やっぱりディスコでDJがかけてくれることが嬉しかったな。
TOSHIKI KADOMATSU × DJ OSSHY Dance Party 2016@act square
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── そうやって出会った2人が、2016年に恵比寿のact squareで行われた「TOSHIKI KADOMATSU × DJ OSSHY Dance Party 2016」で共演するんですよね。
DJ OSSHY あれは事件といってもいいくらい大きな出来事でした。
── あのイベントのきっかけは?
角松 最初は僕が言い出したんですよ。そのアイデアはずっと前からあって、2003年くらいにウェスティンホテルから、なにかイベントができないかって相談されて、ファンクラブ向けにDJを入れてライヴをやったんです。でも、全然盛り上がらない(笑)。やっぱり角松敏生のライヴを観に来ているので、ディスコ・タイムに誰も踊ってくれないんですよ。4日間やって最終日だけ少し盛り上がったんだけど、もうスタンディングはさすがにきついのかなあと思いましたね。
DJ OSSHY その話をお会いしたときに聞いて、「いやいや、今大人のディスコが流行ってるんですよ」って言って、一度現場を見ていただこうと思って、僕が恵比寿で主催している「ダイナスティ」というディスコ・イベントに来てもらったんですよね。
角松 そう、そしたらめちゃくちゃ盛り上がっているし、40代、50代の人たちがめちゃくちゃ元気なんだよ。あれ~、いるところにはいるんだなあって。OSSHYさんのイベントに来ているお客さんは、踊ることもそうだけどその時代の音楽やファッションも含めてカルチャーを楽しもうとしているって感じがしましたね。
DJ OSSHY その後、何度か飲みに連れて行っていただいて、角松さんがDJとの共演を考えているという話を聞いたんですよ。それで僕も盛り上がっちゃって、手を挙げて「この企画は武道館まで持っていきましょう!」なんて言いましたよね(笑)。
角松 無駄話も多かったけれど(笑)、OSSHYさんも本気でやるっていうから、これは具体化しようと思って。それで、DJがかける曲とライヴが一曲ごとにクロスする、いわゆるバック・トゥ・バックというスタイルでできないかと考えたんですよ。ノンストップでバンドとDJが交互に音楽を聴かせていくっていう。
TOSHIKI KADOMATSU × DJ OSSHY Dance Party 2016@act square
写真提供:エス・オー・プロモーション
── ライヴとDJのコラボレーションというと、バンドとバンドの転換でDJが入るというイメージですが。
DJ OSSHY 僕もライヴのつなぎでDJをやることはあったんですが、バック・トゥ・バックなんてやったことは当然ないし、ディスコの歴史でも間違いなく初の試みなんですよ。角松さんはいつの時代も新しいアイデアを考えていらっしゃるんだけれども、今回も画期的なことを考えるんだなあと思って「是非参加させてください」とお願いしたんですよね。
角松 でもこれが、口でいうほど簡単なことではないんですよ。当然、レコードと生演奏では音圧が違いますからね。それで準備したのは、OSSHYさんが選曲したレコードの音源を一度コンピューターに取り込んで、ドラムを重ねて打ち込んでいったんです。そうすれば、今のバンドの音圧に近付けられますからね。アナログ当時はまだ生演奏が多かったから、BPMも一定じゃなかったりするので、そこも整えたりして、かなり手を加えました。
DJ OSSHY そのクオリティの高さにはたまげましたよ。僕もレコードと生演奏の音圧の差は課題だなと思っていたので。いつもライヴの合間にDJで入ると、急に音がしぼんだようになったりするので、どうすればいいかなって考えていたんですよ。でも角松さんは、レコードの音源をすべてオリジナルの雰囲気に忠実にリミックスして解決した。すごく音圧が太く膨らんでいて、レンジも全然違ってました。実際、お客さんもまったく違和感がないって言ってましたから。
角松 あとは、人力でクロスすることにもこだわりましたね。今はコンピューターがあるので、わざわざDJがいなくても、ライヴとレコードの音を交互に出すことは簡単なんですよ。でもそれだと意味がない。だから、あえて頭出しやつなぎはOSSHYさんにやってもらいました。
DJ OSSHY 思わず「ひょっとして、これ、僕が音を出すんですか?」って言いましたもんね(笑)。
角松 「もちろんだよ、だってDJなんだから」ってね(笑)。
TOSHIKI KADOMATSU × DJ OSSHY Dance Party 2016@act square
写真提供:ビーンズ/エス・オー・プロモーション
DJ OSSHY しかし、リハーサルからしびれましたね。かなり入念に行って、角松さんの高いプロ意識を感じられましたから。
角松 初めての試みだし、タイミングを逃したら一瞬でズレてしまうからね。
DJ OSSHY だってミスったら赤っ恥じゃないですか。もちろん、そうなったら角松さんのバンド・メンバーがフォローしてくださるんだろうけど、めちゃくちゃプレッシャーでしたね。バンド・メンバーと自分の対決というような感じで。結果的に本番では上手くいってホッとしました。
角松 クロスフェードの部分は、厳密に言うと微妙にズレたりもするんですよ。でも、それが生々しくて、コンピューターだとそういう味は絶対に出せない。そこがまた良かったんですよね。人力の良さにこだわりたかったし。
DJ OSSHY そういうところからグルーヴは生まれますから。もともとディスコの曲は生演奏の揺れがあるので、それがうねりになって大きなグルーヴになるんですよ。アナログ感覚というかね。
角松 それがやっぱりライヴの醍醐味だよね。音を聞かせるだけだったら、やろうと思えば当て振りでも口パクでもいいし、機械でやれば正確かもしれない。でも、それだとまったく面白くないじゃない。あえてOSSHYさんがボタンを押してクロスフェードしていくことに意味があったし、だからこそライヴならではの熱が感じられたんじゃないかな。
TOSHIKI KADOMATSU × DJ OSSHY Dance Party 2016@act square
写真提供:エス・オー・プロモーション
── 実際のイベントの様子や反応はどのようなものだったんですか。
DJ OSSHY 当然、すごく盛り上がりましたよ。
角松 最初はLADY-KというDJに入ってもらって、その後OSSHYさんのDJタイムがあって、僕のライヴとクロスしていくという演出だったんです。DJタイムはどうせそんなに盛り上がってないんだろうなあと思っていたら、あっという間にみんな踊ってくれていて。やっぱりDJだからうまいんですよね、盛り上げ方が。僕の曲もうまくかけてくれたりなんかして。
DJ OSSHY お客さんの入りもすごかったですよね。熱気があって。
角松 嬉しかったのは、僕のファンもOSSHYさんのDJで気持ちよさそうに踊ってくれていたこと。当然ディスコという打ち出しをしていたから、そういうお客さんが来てくれたというのもあるけれど、自分がステージに立つまでしっかりと温めてくれていたので、ライヴもとてもやりやすかったですよ。
DJ OSSHY 本当にしびれましたよ。僕のDJ人生の中でも間違いなくトップの出来事ですから。今は真面目に武道館への道を考えていますよ。
角松 武道館かどうかはともかく(笑)、第二弾は絶対にやりたいよね。盛り上がったし上手くいったんだけれども、課題もたくさんできたから、そこをひとつひとつクリアしていかないといけないけれど。会場やキャパの問題もそうだし、経費などもそう。やるからにはお客さんが満足して、なおかつきちんとビジネスにならないといけないから。でも、いつかは実現させたい。
DJ OSSHY ぜひやりましょう!本当に画期的な音楽エンタテインメントの形になっていくと思います。
角松 じゃあ、まずは飲みに行かないとね(笑) [中編に続く]
インタビュー・文/栗本斉
●角松敏生(かどまつとしき http://www.kadomatsu.jp/)
本名同。1960年、東京都出身。1981年6月21日シングル「YOKOHAMA Twilight」、アルバム『SEA BREEZE』の同時リリースでデビュー。以後、彼の生み出す心地よいサウンドは多くの人々の共感を呼び、時代や世代を越えて支持されるシンガーとしての道を歩き始める。また、他アーティストのプロデュースをいち早く手掛け始め、特に1983年リリースの 杏里「悲しみがとまらない」、1988年リリースの 中山美穂「You're My Only Shinin' Star」はどちらも角松敏生プロデュース作品としてチャート第1位を記録、今だスタンダードとして歌い継がれている。1993年までコンスタントに新作をリリース、いずれの作品もチャートの上位を占める。年間で最高100本近いコンサート・ツアーを敢行。1997年にNHK“みんなのうた”としてリリースされたAGHARTA(角松敏生が結成した謎の覆面バンド )のシングル「 ILE AIYE(イレアイエ)~WAになっておどろう」は社会現象ともいえる反響を集め大ヒット。1998年2月の<1998 長野冬季オリンピック>閉会式では自らAGHARTAのメインヴォーカルとしてその大舞台に立ち、今や国民的唱歌「WAになっておどろう」が披露され、この映像は全世界に向けて映し出された。 その妥協を許さないスタンスとクオリティで常に音楽シーンの最前線で活動をしている。
角松敏生
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DJ OSSHY 出演スケジュール
6月29日 | D-mode札幌 7周年~ディスコティックの神話vol.7~ |
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6月30日 | RADIO DISCO/InterFM897 15:00-18:00 生放送 |
7月6日 | ナバーナマンスリーパーティー@エスプリトーキョー |
7月7日 | RADIO DISCO/InterFM897 15:00-17:00 生放送 |
7月8日 | サンクチュアリー2018@お台場 |
7月13日 | FRIDAYS NIGHT FEVER@dining & bar kitsune |
7月14日 | RADIO DISCO/InterFM897 15:00-17:00 生放送 |
7月20日 | ナバーナマンスリーパーティー@DiA Tokyo |
7月21日 | RADIO DISCO/InterFM897 15:00-17:00 生放送 |
7月22日 | 「ディスコの日」制定記念 “DISCO FEVER 40 -Special Version” 3世代ディスコ in DIANA |
7月25日 | Dynasty Tokyo Surfer’s Night @ 恵比寿アクトスクエア |
7月27日 | NHKラジオ第1「ごごラジ!」DJ OSSHYのプレミアム・ディスコタイム(全国生放送) |
7月27日 | DISCO LEON @グランド ハイアット 東京 |
7月28日 | RADIO DISCO/InterFM897 15:00-17:00 生放送 |
イベントは変更になることもございます。 詳しくはDJ OSSHY公式サイト(www.osshy.com) をご参考ください。