西寺郷太 It's a Pops

NONA REEVES西寺郷太が洋楽ヒット曲の仕組みや背景を徹底分析する好評連載

第8回 TOTO 「ジョージー・ポージー」(1978年)【前編】

第8回 
TOTO
「ジョージー・ポージー」(1978年)【前編】

―― ソニー発の洋楽ヒット曲を郷太さんの視点から分析してもらう連載。ジョージ・マイケル「アイ・ウォント・ユア・セックス」、マイケル・ジャクソン「アナザー・パート・オブ・ミー」、ホイットニー・ヒューストン「オールウェイズ・ラヴ・ユー」に次いで4曲目となります。でも公開回数はすでに8回目。1回に収めきれないのがこの連載のウリでもあります(笑)。

西寺 ありがとうございます(笑)。今回も数回にわけてもらわないといけなくなるかしれません(笑)。今日のテーマは、今年2月にデビュー40周年記念ベスト『40トリップス・アラウンド・ザ・サン~グレイテスト・ヒッツ~』を発表したTOTOです。連載がずっとソロ・アーティストで故人だったので、現役、初の白人バンド、という意味では僕自身が新鮮な気持ちですね。曲は記念ベストにも入っていますが、1978年に発表された1stアルバム『TOTO』(邦題:『宇宙の騎士』)に収録された「ジョージー・ポージー」。


第8回 
TOTO
「ジョージー・ポージー」(1978年)【前編】

TOTO「Georgy Porgy」

Recording:Release:1979 / Songwriter:David Paich / Producer:TOTO
Guitars,Lead Vocals:Steve Lukather
Keyboards:Steve Porcaro
Piano:David Paich
Bass:David Hungate
Drums,Percussion:Jeff Porcaro
Backing Vocals:Cheryl Lynn

1978年10月に発売されたTOTOの1stアルバム『宇宙の騎士』(全米9位)からの3rdシングル。’79年6月2日付ビルボードHOT100で48位、同8月4日付ビルボードHOT R&Bで18位を記録した。TOTOのデヴィッド・ペイチとデヴィッド・フォスターがプロデュースしたデビュー曲「トゥー・ビー・リアル」(’79年2月17日付ビルボードHOT100で12位を記録)のヒットで人気シンガーとなるシェリル・リンをバッキング・ヴォーカルに迎えた。日本国内では当時「ジョージー・ポーギー」(写真)の表記としてシングル発売され、のちのアルバム再発売時に「ジョージー・ポージー」と改名された。



―― 「ホールド・ザ・ライン」(全米5位)、「愛する君に」(同45位)に続くアルバムから3rdシングルで残念ながら前作同様にトップ40ヒットにはならなかった。日本での国内盤では「ジョージー・ポーギー」だった曰く付きのシングルですね。80年代のグラミー受賞を含む数あるTOTO名曲群のなかでなぜこの曲を選んだのですか?

西寺 あ、本題になってしまうのでその質問はもっと後半にしていいですか(笑)? まずはデビュー当時の、彼らのバンド構成を振り返ってみたいんです。TOTOというグループの印象は、世代によって違うかもしれません。少し上のTOTO直撃世代は別として、’82~‘83年の全米ヒットチャートを賑わした「ロザーナ」「アフリカ」でTOTOを知った時、'73年生まれ、9歳の僕にとっては、正直「かなりオジサンたち」というイメージだったんですよね。それこそマイケル・ジャクソンやワム!、カルチャー・クラブやデュラン・デュランと並列して、TOTOをMTVで観たらそう思いますよね。ほら、ボビー・キンボールのヒゲ親父感とか……(笑)。でもじつはさほど彼らは歳をとってなかったというのがTOTOを語る時、忘れてはいけないポイントだと思います。彼らはセッション・ミュージシャンとして十代から活躍していた早熟の天才集団で。デビューした時点で、スティーヴ・ルカサー(ギター)は弱冠二十歳ですから。カルチャー・クラブのドラム、ジョン・モスと同い年です。

―― そうですね。ちなみにジェフ・ポーカロ(ドラムス)が24歳、弟のスティーヴ・ポーカロ(キーボード)が20歳、デヴィッド・ペイチ(キーボード)が24歳、デヴィッド・ハンゲイト(ベース)が30歳、最年長のボビー・キンボール(ヴォーカル)が31歳だったようですね。

西寺 彼らは、いわゆる「2世バンド」でした。ジェフとスティーヴ、それから後から正式にTOTO入りするマイク(ベース)のポーカロ3兄弟の父親はジャズ・パーカッショニストのジョー・ポーカロ。デヴィッドのお父さんは言わずと知れたジャズ・ピアニスト/作曲家のマーティ・ぺイチ。後からTOTOに加入するジョセフ・ウィリアムズ(ヴォーカル)は映画音楽の巨匠ジョン・ウィリアムズの息子ですからね。ジョン・ウィリアムズの息子って(笑)。もちろんアメリカ最強の2世バンドというだけでなく、全員が演奏者としてポップの歴史に刻まれる、恐るべきスキルを持っていた、と。


第8回 
TOTO
「ジョージー・ポージー」(1978年)【前編】

ボズ・スキャッグス

『シルク・ディグリーズ』

(1976年)

ソニーミュージック オフィシャルサイト



―― 言われ方、枕詞としては「L.A.最強のスタジオ・ミュージシャン」という印象でした。ボズ・スキャッグスの『シルク・ディグリーズ』(’76年)のレコーディング・セッションのためにジェフ・ポーカロ、デヴィッド・ペイチ、デヴィッド・ハンゲイトのちょっと年長組がスタジオに呼ばれて演奏したことがTOTOの原点ですよね。

西寺 その年長という言い方はある意味で的を射てるというか、結局、TOTOにおけるデヴィッド・ペイチとジェフ・ポーカロが、SMAPで言う中居正広さんと木村拓哉さんなんですよ。

―― ……え!?

西寺 そう考えるとTOTOというバンドのパワー・バランスを理解しやすいと思うんです。ソングライティングとアレンジの天才、デヴィッド・ぺイチと、登場以降、世界のグルーヴ感覚を変えた伝説的ドラマー、ジェフ・ポーカロのふたりが1954年生まれで、年長のツー・トップ。スティーヴ・ルカサーと、ジェフの弟のスティーヴ・ポーカロは3歳年下で同じ年。特にルカサーは、年少だけれどバンドに意見をぶつけてゆく香取さんみたいな立場というか。

―― つまり……。

西寺 絶対的なツー・トップに、下の世代が個性をぶつける中で輝きを増してゆく。ともかく、デヴィッドとジェフの「兄感」。ジェフは実際に兄なわけなんですが、この辺の年齢分布をある程度わかっていると、TOTOはよく見えてくるんじゃないかな、と。写真でパッと並んだり、クレジットに名前が記載されるだけだとわからないんですけど。例えばビートルズ。ジョンとポールが絶対的ツー・トップ。最年少のジョージには技量以前に目に見えない、超えられない壁があったはずなんです。TOTOを「オジさんのセッションマン集団」としてではなく、「恵まれた音楽環境から生まれた天才少年たち」として捉える。その上で「3歳差のポーカロ兄弟がそれぞれの友人と組んで合体したバンド」だという目で分割して考える。SMAP例えを最後に言うなれば、草彅さんが途中で『いいひと。』でブレイクしグループの人気をさらに高めたのも、スティーヴ・ポーカロっぽいなぁ、と思ったりします(笑)。作曲家としては、他のメンバーに比べて当初地味なイメージだったスティーブ・ポーカロが、マイケル・ジャクソン「ヒューマン・ネイチャー」の作曲家として急にジャンプ・アップした感じが……。となると、途中でやめたキンボールが森さんなのか? 稲垣さんは? とか考えると混乱するので、以上です(笑)!

―― あれ、だんだんTOTOとSMAPが重なってきました(笑)。

西寺 ただ、何と言っても注目すべきは、やはり亡くなったジェフ・ポーカロでしょうね。あの時代のロック/ポップス・フィールドのドラマーとして間違いなくNo.1プレイヤーだった。僕はいわゆる「80年代ポップス」って、究極を言えば「ジェフが叩いた曲、ジェフのドラミングを模倣したグルーヴ」のことじゃないか、って思ったりもしますから。もちろん、クウォンタイズ機能でデジタル的なビートがスタンダードになり、シンクラヴィアなどのプログラミングがトレンドとなって、リズムが機械的に統制される’86年以降は変わってくるんですが。生身のドラマーとしては、誰もかなわなかったんじゃないかなぁ。名声もテクニックも、ジェフ・ポーカロの時代があったんです。そして、いわゆる日本の「80年代歌謡曲」には、ハードロック風味かつ、どことなく透明感のあるルカサーのギター・プレイの影響が大きいんじゃないかなぁ、と。


第8回 
TOTO
「ジョージー・ポージー」(1978年)【前編】

TOTO

『宇宙の騎士』

(1978年)

ソニーミュージック ショップ




―― 時代を席巻。そういう意味でもTOTOはSMAPだったと。

西寺 わかりやすく言うとですよ(笑)。その後の音楽の聴かれ方、あり方を「変えた」ということです。TOTOは、若いころから他の誰よりもスタジオにいる時間が長く、その腕で十代から稼ぎまくったことで経済的にも恵まれていました。スタジオのシステムを熟知し、どうでもよい、と割り切れた若い彼らだからこそ、あることに気づけたんです。それは今に至る大きな進化、変化でした。なんだと思います?彼らは考えたんです。「スタジオの空気感を消してしまうおうか」と……。

―― スタジオ・ミュージシャンの名手が、スタジオを消す?

西寺 よく昔の映画とかドラマを観ていて、なんで携帯を使って連絡しないのかな、メールで済む問題なのにと思うことは多いと思います。会いたい人と何年も連絡とれず、伝えられないまま5年経ちました……、みたいな。その風情や良し悪しはあると思うんですけど、固定電話でなく携帯とか、直筆の手紙でなくメール、みたいな変革を70年代後半から80年代の音楽界にもたらしたのが、TOTOの面々なんじゃないかと僕は思ってるんです。当時高価だったシンセサイザーを若くして手に入れ、自由に使えたTOTO。ギターもアンプで鳴らした音をマイクを立てて部屋の音ごと録るんじゃなくて、ミキサー卓に直で繋いでエフェクターをかけて録音した方がカッコいいんじゃないか、とか。シックのナイル・ロジャースも同じようなことをやっていたけれど、TOTOはロック・バンドとしてそれを実践した珍しいグループでした。アンプにマイクを空気を通していないから、必然的にノイズが少ない。今は、そういう音が普通なんですけど、あの当時TOTOがやったことって携帯電話の発明みたいなもので。子供の頃からスタジオ録音を当たり前だと思っていたからこそ、それそのものに有り難みを感じず、結果カッコよければいいやんっていう発想が生まれたと僕は思うんです。普通は「一流スタジオ」に来たら、興奮しちゃいますしね。エンジニアの意見も聞くでしょうし、部屋の「鳴り」や「響き」を無駄なく使おうとしちゃうんです。ただ、TOTO以降全部がTOTO的になってしまったので、逆にその凄さに気づかない、というところはあると思います。アメリカのヒットチャートを飾るサウンドがみんなTOTO化した。その結果、今僕らが知っている80年代の日本の歌謡曲のサウンドもTOTOに影響されていった。そして、さきほども触れたマイケル・ジャクソンが、『TOTO IV ~聖なる剣』で完成したTOTOの“携帯電話”的サウンドと邂逅した結果、モンスター・アルバム『スリラー』が生まれた、というわけです。


第8回 
TOTO
「ジョージー・ポージー」(1978年)【前編】

マイケル・ジャクソン

『スリラー』

(1982年)

ソニーミュージック ショップ



―― 『スリラー』以前以降という言葉がありますが、携帯電話、すなわちTOTO以前以降ということですね。

西寺 これはいつも言うんですけど、いやこの連載では初めてかな、『スリラー』の4曲、「ガール・イズ・マイン」「今夜はビート・イット」「ヒューマン・ネイチャー」「レディ・イン・マイ・ライフ」を、もし細かくクレジットするとすれば、マイケル・ジャクソン with TOTO ですからね。というか「ヒューマン・ネイチャー」に至ってはTOTO feat.マイケル・ジャクソンって感じです。アレンジもデヴイッド・ペイチ、スティーヴ・ポーカロ、スティーヴ・ルカサーの三人で、ドラムがジェフ・ポーカロですから。「今夜はビート・イット」に関しては、エディ・ヴァン・ヘイレンがギターでゲスト参加した、と強調される場合が多いんですが、間違いではないけれどエディが弾いたのはギター・ソロのみ。楽曲イメージの軸となるイントロのギター・リフだけでなく、なぜかベースも含めて、基本ルカサーの演奏ですからね。ちなみに、『スリラー』のレコーディング期間、'82年4月から秋にかけては、その年のグラミー賞、アルバム・オブ・ジ・イヤーを獲得した『TOTO IV ~聖なる剣』がリリースされ、売れに売れまくったタイミングにドンピシャです。白人層にもアプローチしたい、クインシーやマイケルが、TOTOの人気と才能、演奏に頼った、と言ってもいいアルバムで。まだ、マイケルが「ナンバー・ワン」になっていなかった時代です。まぁ、そこも含めて黒人ソロ・シンガーであるマイケルに、白人バンドのTOTOを絡ませたクインシー・ジョーンズの「天才性」だとは思うんですが。TOTOの参加なしに『スリラー』が、世界一売れるアルバムになることはなかったと断言できます。結局、黒人音楽ファンも『スリラー』を模倣しようとすると、TOTOの面々が鳴らしたサウンドの影響から逃れられない、というわけなんです。でも、この『スリラー』での、まさかの『聖なる剣』越え、未曾有の規模の大成功は同時にTOTOの弱点も露呈してしまうことになるんです。それはロック・バンドとしてはある種致命的ともいえる、カリスマ・ヴォーカリストの不在です。そのことは本題の「ジョージー・ポージー」とも無縁ではないのですが……。(【後編】に続く

聞き手/安川達也(otonano編集部)




「Another Part Of Me」 Michael Jackson



第8回 
TOTO
「ジョージー・ポージー」(1978年)【前編】

TOTO
『40トリップス・アラウンド・ザ・サン ~グレイテスト・ヒッツ~』
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プロフィール

西寺郷太
西寺郷太 (公式サイト http://www.nonareeves.com/Prof/GOTA.html)
1973年東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成しバンド、NONA REEVESのシンガーとして、’97年デビュー。音楽プロデユーサー、作詞・作曲家として少年隊、SMAP、V6、KAT-TUN、岡村靖幸、中島美嘉、The Gospellersなど多くの作品に携わる。ソロ・アーティスト、堂島孝平・藤井隆と のユニット「Smalll Boys」としての活動の他、マイケル・ジャクソンを始めとする80年代音楽の伝承者として執筆した書籍の数々はべストセラーに。代表作に小説『噂のメロディ・メイカー』(’14年/扶桑社)、『プリンス論』(’16年/新潮新書)など。

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