西寺郷太 It's a Pops

NONA REEVES西寺郷太が洋楽ヒット曲の仕組みや背景を徹底分析する好評連載

第6回 ホイットニー・ヒューストン 「オールウェイズ・ラヴ・ユー」(1992年)【前編】

第6回 
ホイットニー・ヒューストン
「オールウェイズ・ラヴ・ユー」(1992年)【前編】

―― ソニー発の懐かしい洋楽ヒット曲を郷太さんの着眼点から分析してもらう連載。ジョージ・マイケル「アイ・ウォント・ユア・セックス」、マイケル・ジャクソン「アナザー・パート・オブ・ミー」に次いで3曲目のお題となります。今回用意して頂いた曲は……。

西寺 今年一発目は、12月に発売された『愛よ永遠に~ボディガード25周年記念盤』からホイットニー・ヒューストンの「オールウェイズ・ラヴ・ユー」を取り上げたいと思います。ジョージ・マイケル、マイケル・ジャクソンと故人が続いたので少し悩んだのですが、遅かれ早かれ「It’s a Pops」連載では避けては通れない逸材と思うので、発売25年のタイミングでしっかりと今の視点から振り返ってみたいなと。

―― 25年前。1992年というのはホイットニーにとってはどんな年だったのかもういちどおさらいしたいですね。ちなみに1985年~1988年に彼女が達成した7曲連続No.1は今でも破られない全米チャート史上の金字塔です。

西寺 あ、早くも出ましたね。チャート愛好家データ(笑)。その7曲を含む2枚のアルバム『そよかぜの贈りもの』(’85年)『ホイットニーⅡ~すてきなSomebody』(’87年)で80年代の栄華を極め、90年代に最初に発表したアルバムがR&B色を強めた『アイム・ユア・ベイビー・トゥナイト』(1990年11月)でした。そのわずか2か月後に彼女のキャリアに刻まれる決定的な場面が訪れます。セールスの記録や数字を凌駕する説得力です。’91年1月に行なわれた第25回スーパーボウルでのアメリカ国歌「The Star-Spangled Banner」斉唱。圧倒的な歌唱力でテレビの前の視聴者も釘付けにしたんですよね。今でもスーパーボウル歴代No.1歌唱と言われていますね。

―― 「The Star-Spangled Banner」は本当に素晴らしかった。マライア・キャリー、ビヨンセ、レディー・ガガらも独唱してきましたが、ホイットニーがベストパフォーマンスの声は納得ですね。当時、衛星中継を観ながらポップフィールドで彼女の右に出る者はいない、と確信しましたから。でも当時から彼女を音楽フィルターで語る場面や文献にあまり出会ったことがないんですよね。

西寺 そうだと思います。圧倒的な力量を誇示しメジャーオーラを放ちながらも、その背景を語れることが少なかった。リスナーのほうが歌のうまいシンガーの向こう側も知りたくなかったという方が正しいかもしれません。興味がなかったと言ってしまうと淋しいですが、リスナーの多くは彼女の音楽「背景」ではなく「歌声」そのものに惚れて魅了されていたんだと思います。じつはそのことが一番大事で、今回この曲を選んだ理由になるのですが……のちにお話したいと思います。で、いちばん惚れていたのがある意味ケビン・コスナーだったのかもしれません。


第6回 
ホイットニー・ヒューストン
「オールウェイズ・ラヴ・ユー」(1992年)【前編】

Whitney Houston
「I Will Always Love You」
Recoding:April,1992
@Ocean Way Recording, Hollywood, California
Release:3rd , November , 1992/Label:Arista
Songwriter:Dolly Parton
Producer:David Foster

ホイットニー・ヒューストンのキャリア史上最大のヒット曲。自身の主演映画『ボディガード』の主題歌として劇場公開とサウンドトラックの発売に先がけて、’92年11月3日にリリースされた。全米シングル・チャート=ビルボードHOT100で’92年11月28日付~‘93年2月13日付まで14週間にわたって1位を独走、’93年度の全米年間チャートで1位を獲得。アメリカ国内だけで400万枚、日本国内では洋楽としては異例の80万枚、全世界では1500枚のセールスを突破する空前の大ヒット曲となった。プロデュースを手がけたデイヴィッド・フォスターと共に第36回グラミー賞の最高栄誉Record of the Yearを受賞している。ジャケット写真は日本盤8cmCD(短冊)シングル。



―― ケビン・コスナーは『ボディガード』ではホイットニーとW主演ながら、制作者としても名を連ねていたんですよね。

西寺 そうなんです。ケビン・コスナーは監督・主演作『ダンス・ウィズ・ウルヴス』(1990年)でアカデミー賞(1991年3月発表)の主要部門を受賞したばかりでこの頃のハリウッドで最も勢いがあった。そんな彼の目にこの作品の脚本が舞い込んでくるわけですが、『ボディガード』の脚本は元々70年代半ばに書かれていたんですね。当初の配役イメージは、スティーブ・マックイーンとダイアナ・ロスを想定していたというから面白いですよね。黒人の大スターの歌手と、それを守る愚直で、男前の白人という構図は当時から一緒。これがポイントだったんですよね。ある種の非凡な才能と類まれな美貌、それから養った財産と権力、名声で上り詰めた黒人の若い女の子が、自分よりも年上の白人をボディガードとして雇う。そこに恋愛感情が生まれるってことが基本。このストーリーを歌と演技でなぞることが出来る黒人スターは、70年代のアメリカのエンタメハリウッドの世界だと、ダイアナ・ロスくらいでしか想像できなかったでしょうね。でも、そのときのダイアナ・ロスってもう30代になっていてお世辞にも若くはないんですけど。そのままお蔵入りなっていたところ、紆余曲折を経てケビン・コスナーのところにこの脚本が転がり落ちてくる。「自分もお金を出してこの映画を作る!」って。当初のダイアナ・ロスの役を、時の成功者ホイットニー・ヒューストンに頼めば出来そうだっていうことになったんだけど、ホイットニーがスケジュールないってことで、1年待って作ったのが『ボディガード』というわけで。

第6回 
ホイットニー・ヒューストン
「オールウェイズ・ラヴ・ユー」(1992年)【前編】
The Bodyguard, © 1992, Package Design & Supplementary Material Compilation
© 2012 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.


―― ケビンの発言力は大きかったんでしょうね。

西寺 共同プロデューサーは他にも2人いたけれど、何と言ってもお金を出していますからね(笑)。今回、『ボディガード』を取り上げるに当たって僕も復習したんですが、コスナーはホイットニーの育ての親でもあるアリスタレコード会社の社長のクライヴ・デイヴィスにも注文しているらしいんですよね。ほら、「オールウェイズ・ラヴ・ユー」ってアカペラで始まるじゃないですか。If~I♪って。これ映画と同じですよね。でもシングルで考えた時はラジオでオンエアしづらいから、伴奏を付けろって意見がレコード会社からあったらしいんですよ。それをコスナーがシャットアウトして、「絶対に今のままのほうがいい!」って言ったらしくて。それがみんなが知っているあのヴァージョンですね。

―― もちろん音楽プロデューサーのデイヴィッド・フォスターの意向もあったんでしょうね。

西寺 フォスターもポップス史屈指の天才プロデューサーですからね。サウンドやリズムに溶け込む「心地よい鋭さ」が重視され始めた90年代当時の流行りに比べて、ホイットニーのボーカルは「歌そのものの味付け」が濃すぎる、と自然に判断したのかもしれません。彼女の人間離れしたハイトーン・ボイスは武器でもあり、ホイットニーをその後追い詰めてゆく結果にもなりました。結局、ホイットニーのボーカルって、味噌煮込みウドンで言えば、なぜか麺そのものも味噌で出来てる、みたいな感じなんですよ……分かります(笑)?

―― まだ……分かりません(笑)。

西寺 (笑)。ホイットニーの歌声自体が、良くも悪くも初めからしっかり味が付いているということです(笑)。麺だけで、美味しく食べられる。だからスープ(サウンド)まで味噌にしてしまうと、味が濃すぎる。例えば、90年代に突入してから音楽がより一層ヒップホップ的な反復するリズム重視になっていったとき、いちばんバランスが良かったのがジャネット・ジャクソンのボーカルでした。ジャネットは声量がない、などとよく言われていました。マシーンのようなホイットニーと比べれば、確かにそうでしょう。ただし、あの時代、ジャネットがなぜ愛されたかというと彼女のボーカルが、さっきの例で言えば真っ白なウドンだったから。素ウドンで食べたら人によっては味がしない(下手だ)と言うかもしれない。でも極上のスープである、流行のダンス・トラックに味をからめていくと、これが不思議、絶妙な風味を出し始めるんですよ。ウドン自体がプレーンであればあるほど、味噌でも、カレーでも、醤油でも、もしかしてスープは何でもいけちゃう? って。それがジャネットが、90年代ミュージックの主役になった所以なんです。

―― ジャネットの兄マイケル・ジャクソンは?

西寺 意外かもしれませんが客観的に見ればマイケルってそんなに濃くない。というよりも、彼はある時期から「ボーカル至上主義」ではないんですよね。あくまでもプロデューサー的視点で、曲やリズム、メッセージに殉じさせて、ある種のボーカルの旨味すら消せる一段上の凄いボーカルだったんです。今ではそんなこと言う人はいませんが、大学時代によく馬鹿にされたものです。マイケルはジャクソン5の頃は歌があんなに上手かったのに、『BAD』とかなんなの?ダッ!とかアォウ!ばかりで下手くそだ、って(笑)。本当に80年代以降のマイケルは、シンガーとしての評価が低かった(笑)。でも、それこそがマイケルの凄さなんです。自分のボーカルを記号化、ビート化出来た。バラードを歌おうが、ダンサブルな曲を歌おうが、その楽曲に最も適した形で自分の濃度をある程度薄めたり、デフォルメしたり、過剰にしたり、中和させたりする能力に長けていた。彼の場合は「歌」だけが大切なわけではなく、「歌」もすべての一部。だから、今も「楽曲」が「クラシック」として愛されるんですよね。だけど、ホイットニーはそうじゃない。彼女は奇しくも『ボディガード』の脚本が最初に書かれた時代と同じ、70年代型スーパースター・シンガーの最終形だったといいますか。彼女は、そのハイパーなボーカルを駆使しての「全力疾走」しか出来なかった。


第6回 
ホイットニー・ヒューストン
「オールウェイズ・ラヴ・ユー」(1992年)【前編】

ホイットニー・ヒューストン

「オールウェイズ・ラヴ・ユー」

ソニーミュージック オフィシャルサイト



―― 70年代型?

西寺 60年代、70年代はシンガーならば歌が上手くなきゃいけないんです。特にソウルやR&Bの世界では。歌唱力でリスナーを魅了させなくちゃいけない。ヒップホップ、ニュー・ウェイヴ感覚が浸透した80年代以降の歌が下手で何が悪いの? 個性やリズム感が大事ですよね? とは違うんです。

―― それでもホイットニーはあらゆる「記録」を塗り替えた数字に裏打ちされた80年代の覇者ですよね。

西寺 それは、MTV全盛の80年代に、唯一無二の歌声を武器に、リスナーに有無を言わせるスキを与えず圧倒的な力量で誰よりも高く飛べたからです。ポップソングの競技場(フィールド)でそれまで誰も見たことがないスピードで駆け抜けたからです。未踏の飛距離を体現したからです。先ほどの7曲連続全米1位を例に出すならば、彼女は短距離、高飛び、幅跳び競技で7個の金メダルを手にしたということ。すなわち「記録」です。つまり彼女は天性の資質を見事に開花させた「アスリート」だったんです。時代を駆け抜けたアスリートであるがゆえに故障も、挫折も味わうのですが、『ボディガード』はそんな天才の生い立ちや音楽背景をいみじくも覗かせてくれたんです。(【後編】に続く)
聞き手/安川達也(otonano編集部)



第6回 
ホイットニー・ヒューストン
「オールウェイズ・ラヴ・ユー」(1992年)【前編】
ホイットニー・ヒューストン

『愛よ永遠に~ボディガード25周年記念盤』

(2017年)

ソニーミュージック オフィシャルサイト

映画『ボディガード』公開25周年記念して、同作のホイットニー・ヒューストンに関わる楽曲だけにクローズアップした企画アルバム。残念ながらホイットニーは2012年にロサンゼルスのホテルで享年48歳という若さで事故死し、葬儀にはクライヴ・デイヴィスほかスティーヴィー・ワンダー、アリシア・キーズ、ケビン・コスナーら錚々たるゲストが彼女を天国へと見送ったことでも話題となった。本作には「オールウェイズ・ラヴ・ユー」レコーディング時の初テイク音源含む未発売音源なども多数収録。Blu-Spec CD2仕様。





第6回 
ホイットニー・ヒューストン
「オールウェイズ・ラヴ・ユー」(1992年)【前編】
『ボディガード』

アメリカ映画・1992年

監督:ミック・ジャクソン

製作 :ローレンス・カスダン 、ジム・ウィルソン、ケビン・コスナー

出演:ケビン・コスナー、ホイットニー・ヒューストン、ミシェル・ラマ・リチャーズ、ゲイリー・ケンプ ほか

ブルーレイ ¥2,381+税
DVDスペシャル・エディション ¥1,429 +税
ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント
The Bodyguard, © 1992, Package Design & Supplementary Material Compilation © 2012 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

ワーナー・ブラザーズ ホームエンターテイメント




第6回 
ホイットニー・ヒューストン
「オールウェイズ・ラヴ・ユー」(1992年)【前編】
オリジナル・サウンドトラック

『ボディガード』

(1992年)

ソニーミュージック オフィシャルサイト

1992年11月17日全米発売、同12月6日に日本発売。アメリカ国内だけで1800万枚(歴代12位)、日本だけでも180万枚(洋楽歴代6位)、全世界で4400万枚(歴代3位)の歴史的セールスを記録し史上最も売れたオリジナル・サウンドトラック盤として愛され続けている。全13曲中、前半6曲がホイットニー・ヒューストンの歌唱曲で「オールウェイズ・ラヴ・ユー」(全米1位)、「アイム・エヴリ・ウーマン」(同4位)、「アイ・ハヴ・ナッシング」(同4位)がトップ10ヒットとなった。第36回グラミー賞においてAlbum Of The YearとRecord Of The Year(「オールウェイズ・ラヴ・ユー」)を獲得するという偉業も達成した。

プロフィール

西寺郷太
西寺郷太 (公式サイト http://www.nonareeves.com/Prof/GOTA.html)
1973年東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成しバンド、NONA REEVESのシンガーとして、’97年デビュー。音楽プロデユーサー、作詞・作曲家として少年隊、SMAP、V6、KAT-TUN、岡村靖幸、中島美嘉、The Gospellersなど多くの作品に携わる。ソロ・アーティスト、堂島孝平・藤井隆と のユニット「Smalll Boys」としての活動の他、マイケル・ジャクソンを始めとする80年代音楽の伝承者として執筆した書籍の数々はべストセラーに。代表作に小説『噂のメロディ・メイカー』(’14年/扶桑社)、『プリンス論』(’16年/新潮新書)など。

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