西寺郷太 It's a Pops
NONA REEVES西寺郷太が洋楽ヒット曲の仕組みや背景を徹底分析する好評連載
第5回
マイケル・ジャクソン
「アナザー・パート・オブ・ミー」(1988年)【後編】
―― (『中編』からの続き)10年くらい前に世の中が『アバター』(’09年)をピークに3D映像ブームになったとき、マイケルの『キャプテンEO』(’87年3月、東京ディズニーランド公開)を超える映像衝撃は正直なかったんですよね。僕だけかと思ったら、80sリアルMJ体験世代は意外とみんな同じ意見だったんですよ(笑)。なんだろう。技術じゃなくてエンタメの先駆者としてやっぱりマイケルのほうが凄かったって。
『キャプテンEO』(’87年3月、東京ディズニーランド公開)
西寺 僕自身、自分でミュージカル音楽や脚本を手掛けて身に沁みたんですが、ストーリー展開、謎解きやギャグ、映像面の驚きは一度目のフレッシュな衝撃に勝てない。でも、歌やダンスは繰り返しても飽きないんですよ。むしろ曲を覚えて反復するたびに喜びが増します。特に『キャプテンEO』は制作総指揮がジョージ・ルーカス、監督にフランシス・フォード・コッポラ、主演と挿入歌がマイケル・ジャクソンというエンタメのトップが、『映画』ではなくてディズニーランドの『アトラクション』として制作したという成り立ちも大きいかと。
(左から)フランシス・フォード・コッポラ、マイケル・ジャクソン、ジョージ・ルーカス
―― そんななかでマイケルはどんなコンセプトで「アナザー・パート・オブ・ミー」を書いたのでしょうか。
西寺 正確に言えば「アナザー・パート・オブ・ミー」だけでなく、「ウィ・アー・ヒア・トゥ・チェンジ・ザ・ワールド」の2曲を彼は『キャプテンEO』に提供しています。このプロジェクトにクインシーはまったく関係していません。マイケルは「今夜はドント・ストップ」(1979年10月全米1位)を自身で作詞・作曲しようが、「ビリー・ジーン」(1983年3月全米1位)を書こうが、その成功が「クインシー・ジョーンズのおかげ」と思われている状況から抜け出す大きなチャンスだと考えたはずです。それは単なる彼の被害妄想ではありません。当時ライバルとみなされたプリンスが、ありとあらゆるミュージシャンや音楽ジャーナリズムからリスペクトされたのに比べ、マイケルのソングライティングに対しては、チャイルド・スター出身という先入観からかでしょうか、評価が低かったのは事実。だからこそ、俺はひとりでも充分できるんだ! と証明したい時期だったのでは? と。ジョン・バーンズというプログラミングとサウンド・デザインをする懐刀がいたので、なおさらそう思ったことでしょうね。
―― 新しいパートナーともいえるジョン・バーンズの名前がたびたび出てきます。『スリラー』(’82年)で世界制覇した時に比べて、80年代半ばはポップスの世界の音楽も急速に進化していますよね。
西寺 まさにそう。アメリカで『キャプテンEO』がアトラクション公開したのは’86年秋。一年で完全にトレンドが変わる時期です。その年の春にリリースされた妹・ジャネットの『コントロール』も大ヒットしていました。RUN DMCがエアロスミスのギターリフを大胆にサンプリングした「ウォーク・ディス・ウェイ」がヒットしたのは’86年の夏です。クインシーも新しいドラムマシン・サウンドを取り入れるんですが、彼の場合はそういった最新の機材と伝統的な楽器を混ぜるのが天才的でした。例えばマイケルの人気曲「ロック・ウィズ・ユー」(’80年1月全米1位)を作詞・作曲したロッド・テンパートン(’06年死去)を軸に考えると。彼がキーボーディストとして在籍していたヒートウェイブの方が音楽的には当時の言葉を借りて言うならばナウいんですけど(笑)、「ロック・ウィズ・ユー」のほうが全然タイムレスなんですよ。
- マイケル・ジャクソン
- 『オフ・ザ・ウォール』
- (1979年)
- ソニーミュージック オフィシャルサイト
―― それは歌っているのがマイケルだからだということもありますよね(笑)。
西寺 あ、もちろん歌手マイケル・ジャクソンの素晴らしさはありますが(笑)、でも僕が「ロック・ウィズ・ユー」が世界で一番良いポップスだと思っているのは、あのストリングスやホーンも含め、ジャズ、ポップ、ソウルの伝統をすべて踏まえた瑞々しく人間的なサウンドに尽きるんですよ。同じくロッド・テンパートンのペンによる「スリラー」もホラー仕立てのかなり実験的な作品ですが、結果老若男女に予想以上に受けて「人畜無害なヒットソング」と捉えられてしまった。だからこそ『スリラー』を経たマイケルは一旦完全にメカニカルなサウンドに舵を切りたくなった。クインシーが関わることでエッジが削がれる感覚を排除したくなったんじゃないかな、と。
- マイケル・ジャクソン
- 『スリラー』
- (1982年)
- ソニーミュージック オフィシャルサイト
―― そして新しい仲間と。
西寺 実は80年代中盤から90年代初頭まで、マイケルの右腕的存在となるキーボーディストのジョン・バーンズと、『デンジャラス』で多くの曲を手がけ、最終的にシェリル・クロウのプロデューサーになるエンジニア、ビル・ボットレルのふたりはアルバム『ビクトリー』制作期に兄のジャーメイン・ジャクソンが紹介した人脈でした。今のパソコンとは比較できないほど当時はプログラミングが難しかったので、ひとり何役も出来るジョン・バーンズに頼んだわけです。新たなスタッフでの音楽制作を自宅エンシノのスタジオ、別名“マイケルのラボラトリー(研究所)“で始めたのが’85年の出来事なんですよ。
- Michael Jackson「Another Part Of Me」
- Release:July,1988/Label:EPIC
- Songwriter:Michael Jackson
- 1986年公開のマイケル・ジャクソン主演のディズニーランドの3D映画アトラクション『キャプテンEO』のために書かれたナンバー。のちにマイケル・ジャクソンのアルバム『BAD』(’87年)に収録され、翌’88年夏に第6弾シングルとしてカットされた。アナログからデジタル移行期発売のため7インチ・アナログ・シングル、12インチ・アナログ・シングル、8cnCDシングルの3規格が市場に並んでいる。ジャケット写真は日本盤アナログ(ドーナツ盤)シングルと日本盤8cmCD(短冊)シングル。
―― でも次のアルバム『BAD』(’87年)にも「アナザー・パート・オブ・ミー」は収録されていて、クレジットはクインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンの共同プロデュースになっていますよね。
西寺 そうなんです。ようやくそこに至るまでの話に戻ってきましたね(笑)。結局『BAD』のアルバムのプロデュースを務めることになり鬱病から帰還したクインシーですが、制作時のデモ音源の多くは長年マイケルを支え続けたエンジニア、マット・フォージャーと、先述のビル・ボットレルによって録音されたものでした。
- マイケル・ジャクソン
- 『BAD』
- (1987年)
- ソニーミュージック オフィシャルサイト
―― 郷太さんが指摘した『BAD』の制作バランスであるマイケル「8」、クインシー「2」のベースになる前提ですね。
西寺 結局『オフ・ザ・ウォール』と『スリラー』の成功はとてつもないですからね。マイケルもクインシーの支持を仰ぐべきだと判断したのでしょう。『BAD』もクインシーによるプロデュースとなり、クインシーは超一流のスタッフ、セッション・チームをLAウェストレイク・スタジオに集結させます。そのクインシー軍団が「Aチーム」と呼ばれ、“マイケルのラボラトリー(研究所)“の制作チームは「Bチーム」と呼ばれるようになります。『BAD』の収録候補曲は33曲あったと言われてますから、‘87年の時点ですでに一旦旬が過ぎていた「アナザー・パート・オブ・ミー」は収録されなくても当然、という状況でした。
―― 脱クインシーで挑んだ「アナザー・パート・オブ・ミー」はマイケルが意地で収録させたんですね。
西寺 それが、なんと違うんです(笑)。マイケルは選曲時点ではさらなる新曲「ストリートウォーカー」を強く推したんです(『BAD 25週年記念盤』に収録)。当時発表していたら流行っていただろうな、とは思いますよ。でも既発曲ながら「アナザー・パート・オブ・ミー」を誰よりも評価したのがクインシーだったんです。このジャッジは今となってみれば、本当に正しかったと思います。クインシーは「アナザー・パート・オブ・ミー」こそがマイケル・ジャクソンというアーティストの旨味、オリジナリティの究極だと見抜いていたから譲らなかった。「ストリートウォーカー」は、それに比べると「今風にしよう、ウケよう」という匂いが感じられるんですよね。スピリチュアルではない。ただ、クインシーは「アナザー・パート・オブ・ミー」をリアレンジします。この曲が本当に面白いのは、その意味で「マイケル・ヴァージョン」(『キャプテンEO』版)と「クインシー・ヴァージョン」の両方が正式に発表されていて聴き比べられるからです。クインシーは、デジタル・サウンドに伝統的な生演奏のブラスを重ねました。
- 『BAD25周年記念スタンダード・エディション』
- (2012年)
- ソニーミュージック オフィシャルサイト
―― 『キャプテンEO』ヴァージョンもクインシー・ヴァージョンも印象としてはそんなに違うようには……。
西寺 そこが“クインシー・プロデュース”のミソなんですよね。クインシーは元々ジャズ・トランぺッターでしたから、ホーンへのこだわりは半端ない。けれど、実は「アナザー・パート・オブ・ミー」に、ブラスはちょっとしか入っていないんです。基本はマイケルとジョン・バーンズのアレンジを下敷きにしながら、サビ前ごとのブレイク8連打、間奏のストイックなフレーズ、アウトロのフェイドアウトで動くだけです。で、結局、「アナザー・パート・オブ・ミー」の何が良いかって、そのブラスが良いんですよ(笑)。フレーズから入り方から、なにもかもがかなり効いているんです。さすが天才プロデューサーです。マイケルは複雑な気持ちだったかもしれませんね。「このオヤジ、やっぱしやるやんけ」って(笑)。
―― この話を聞いていた僕も複雑な気持ちになりましたよ。
西寺 マイケル・ジャクソンという歴史に残るシンガー、ソングライターのピュアで究極の形が「アナザー・パート・オブ・ミー」にある、ということをクインシーは気がついていた。今にして思えば、マイケルの音楽人生の中の本当のおへそみたいな曲であり、その後のマイケルの未来を示唆する曲でもある。クインシーもマイケルとの作品作りは『BAD』で終わりなんじゃないか、と勘づいていたかもしれません。だからこそ、愛弟子を卒業させる前に、師匠である自分の痕跡をきっちり残せる「アナザー・パート・オブ・ミー」の収録に執拗にこだわったのではないか、と僕は感じています。結果的にボツとなった「ストリートウォーカー」は、ベースラインを流用しながら磨き上げられ次のアルバム・タイトル曲「デンジャラス」へと進化します。最新コンピレーション・アルバム『スクリーム』には「アナザー・パート・オブ・ミー」は収録されていませんが、実はこの“裏ベスト”に収録された楽曲の多くが「アナザー・パート・オブ・ミー」を土台としています。そのことをこの3編に分けた連載から感じてもらえれば嬉しいかぎりです。
- マイケル・ジャクソン
- 『MICHAEL』
- (2010年)
- ソニーミュージック オフィシャルサイト
クインシーとの対峙という意味では『スリラー』に収録されるはずだったYMO作の「ビハインド・ザ・マスク」も同じように語れるエピソードが多いのですが(『MICHAEL』収録)。「アナザー・パート・オブ・ミー」の原点を辿れば、なんと日本人である坂本龍一さんが作曲した「ビハインド・ザ・マスク」に辿りつくんですけど……って今から話すとまた3編が始まりそうなので、別の機会にしておきますね(笑)。
聞き手/安川達也(otonano編集部)
- マイケル・ジャクソン
- 『スクリーム』
- 発売中
- ソニーミュージック オフィシャルサイト