西寺郷太 It's a Pops

NONA REEVES西寺郷太が洋楽ヒット曲の仕組みや背景を徹底分析する好評連載

第4回 マイケル・ジャクソン 「アナザー・パート・オブ・ミー」(1988年)【中編】

第4回
マイケル・ジャクソン
「アナザー・パート・オブ・ミー」(1988年)【中編】

第4回
マイケル・ジャクソン
「アナザー・パート・オブ・ミー」(1988年)【中編】

第4回
マイケル・ジャクソン
「アナザー・パート・オブ・ミー」(1988年)【中編】

Michael Jackson「Another Part Of Me」

Release:July,1988/Label:EPIC

Songwriter:Michael Jackson

1986年公開のマイケル・ジャクソン主演のディズニーランドの3D映画アトラクション『キャプテンEO』のために書かれたナンバー。のちにマイケル・ジャクソンのアルバム『BAD』(’87年)に収録され、翌’88年夏に第6弾シングルとしてカットされた。アナログからデジタル移行期発売のため7インチ・アナログ・シングル、12インチ・アナログ・シングル、8cmCDシングルの3規格が市場に並んでいる。ジャケット写真は日本盤アナログ(ドーナツ盤)シングルと日本盤8cmCD(短冊)シングル。





―― (『前編』からの続き)マイケルはクインシーには絶大な信頼を寄せていたんですよね。

西寺 マイケルは……『スリラー』(’82年)が大成功し、目標だったグラミー賞を大量獲得した段階、1984年には一旦クインシーとの座組みを見直したくなっていた、と思うんです。もっと自分の色をストレートに出したくなっていた。ジョージ・マーティンがプロデュースしたポール・マッカートニーとの「セイ・セイ・セイ」も大ヒットしていました。クインシー抜きでも俺はやれる、と。ミュージカル映画『ウィズ』(’78年)で出会ったクインシーに、頼み込むカタチで制作した『オフ・ザ・ウォール』(’79年)から丸5年。力関係は変わってますからね。誰しも持つ感情ですが、とりわけマイケルは幼少時から“脱皮願望”がひと一倍強かった。幼い頃にショウビジネス界入りし、モータウン社長ベリー・ゴーディから脱皮、ジャクソン5からジャクソンズへの脱皮。マネージャーである父ジョーからも脱皮。歳を重ね兄弟から脱皮しながらスターになっていた成功体験があります。


第4回
マイケル・ジャクソン
「アナザー・パート・オブ・ミー」(1988年)【中編】
マイケル・ジャクソン

『オフ・ザ・ウォール』

(1979年)

ソニーミュージック オフィシャルサイト



―― 5歳でステージに立って、二十歳になって兄たちと離れて音楽制作。大人になったいっときの開放感みたいなものもあったでしょうね。

西寺 『オフ・ザ・ウォール』期のマイケルが、最も歌うこと、アルバム作りを純粋に楽しんでいたのではないでしょうか。「ロック・ウィズ・ユー」(’80年1月全米1位)なんて、ジャズからポップ、ファンクを知り尽くし、エレガントにまとめることが出来るクインシーがいなかったらあそこまでの高い完成度には到達していなかったはずです。ただし、マイケルは次の段階で本当の意味で自分だけの音世界を作る夢を抱き、実行します。ソングライター、プロデューサーとしての”マイケル・ジャクソン物語”の本当の意味でのスタート。それこそが、ジャクソンズの「ハートブレイク・ホテル」(‘81年2月全米22位)でした。

―― 『オフ・ザ・ウォール』がロングセラー中、1980年に発表されたジャクソンズ『トライアンフ』からのカット・シングル。

西寺 その通りです。きらめきに満ちた80年代の幕開けを飾った『オフ・ザ・ウォール』とモンスター・アルバム『スリラー』のちょうど谷間に隠れてしまいがちですが、“映像的で物語性に満ちたマイケル独自の世界観“を世に知らしめたエポックな曲でした。マイケル自身が初めて自分自身でプロデュースした楽曲でもありました。


第4回
マイケル・ジャクソン
「アナザー・パート・オブ・ミー」(1988年)【中編】
ジャクソンズ

「ハートブレイク・ホテル」

(1981年)

ジャケット写真は日本盤アナログ(廃盤)

ソニーミュージック オフィシャルサイト



―― 最新作『スクリーム』のオープニングを飾っていますね。

西寺 マイケル・ジャクソンの“裏ベスト“、もしくは“ザ・ハロウィン・アルバム“と呼ばれるこのアルバムには、「ブラッド・オン・ザ・ダンスフロア」や「スリラー」「デンジャラス」「スレトゥンド」などスリル溢れるサスペンス映画テイストな楽曲が選ばれています。「ハートブレイク・ホテル」こそが、その出発点になる曲なんです。野心はありながらも単独で10曲を制作する時間やスキルはまだ彼にはなかった。なのでジャクソンズは、いい実験場だったんですね。いま彼の歴史的遺産を管理しているマイケル・ジャクソン・エステートがなぜ『スクリーム』にわざわざジャクソンズ時代の曲をセレクトしたのか。マイケル・ジャクソンが好き、というライトなリスナーのなかで、ジャクソンズの音楽を知ろうとしたり、買う人って、100分の1とか、1万分の1かもしれない。でも、「いえいえ、これもじつはマイケルのほぼソロでキャリア全体でも大切な作品ですよ」ということをあらためてアナウンスしたかったんじゃないか、と。

―― 「アナザー・パート・オブ・ミー」は『スクリーム』には収録されていませんが、「ハートブレイク・ホテル」と同じ系列に並ぶセルフ・プロデュース曲ということですね。

西寺 ですね。母キャサリンに頼みこまれ、兄弟たちとの最後のアルバムとなった『ヴィクトリー』(’84年)とそれに伴う全米ツアー。責務を果たしたマイケルは、’84年に12月にジャクソンズを脱退しています。


第4回
マイケル・ジャクソン
「アナザー・パート・オブ・ミー」(1988年)【中編】

マイケル・ジャクソン

『スリラー』

(1982年)

ソニーミュージック オフィシャルサイト




第4回
マイケル・ジャクソン
「アナザー・パート・オブ・ミー」(1988年)【中編】

ジャクソンズ

『ヴィクトリー』

(1984年)

ソニーミュージック オフィシャルサイト



 ジャクソンズ脱退後すぐに、USA・フォー・アフリカ「ウィ・アー・ザ・ワールド」(’85年)のレコーディングがありました。プロデューサーはクインシー・ジョーンズ。この時点でマイケルは唯一無二のダンスと非凡な歌声で世界最高峰のスーパースターの座を手にしていました。が、ソングライターとしては、「ウィ・アー・ザ・ワールド」を一緒に作詞作曲したライオネル・リッチーや、モータウンの先輩のスティーヴィー・ワンダーの方が認められていました。マイケルは出自自体が「アイドル」でしたから、名匠クインシーありきというイメージが纏わりついていた。

―― この時期のふたりの関係は郷太さんが書かれた『ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い』に詳しいですが、ほど良い緊張感があったんでしょうね。

西寺 ベリー・ゴーディからも、親からも兄弟からも離れたマイケルの「最後の反抗期」ですよね。もっと言えば、出来るだけ理解ある白人とユーモアに満ちたコミュニケーションで協調していこうとするクインシーとの世代間ギャップもあると思います。マイケルが意識した同学年の天才プリンスは、白人アーティストを従え、無愛想で戦闘的でしたから。ちなみにクインシーは当初、ライオネルとスティーヴィーに楽曲制作を頼むんですね。ただ、スティーヴィーは『イン・スクエア・サークル』(’85年)の追い込みで時間がない。だから、ちょうど暇だったマイケルに作詞・作曲を発注しました。そういう流れも、マイケルは嫌だったと思いますね。世紀の天才ソングライターであるスティーヴィーに頼みたい気持ちは、よくわかりますけど。ちなみに曲の仮タイトルは「Like Yesterday」。僕も初めは、ライオネルやマイケルやスティーヴィー、ダイアナ・ロスなどモータウンの同窓生たちが集まって、“あの頃、昨日のように”一緒にみんなで仲良く歌おうという意味だと思っていました。でも調べたら全然違っていたんです。全権を任されていたクインシーは、「レット・イット・ビー」(ビートルズ)や「明日に架ける橋」(サイモン&ガーファンクル)みたいな壮大な曲を書けって言っていたんです。「イエスタデイ」みたいな曲、つまり「Like Yesterday」(笑)。結局、このプロジェクトは黒人の座組だけど、白人に愛されるアンセム、バラードを作ってくれと言っていたわけですよ。全人種、全世代に受けるようにシンコペーションも減らし、リズムも超シンプルに。クインシーは、白人音楽を意図的に模することで人種の壁を溶かそうと考えたんです。


第4回
マイケル・ジャクソン
「アナザー・パート・オブ・ミー」(1988年)【中編】

USA for Africa

『We Are The World[DVD+CD]』

ハピネット



―― 黒人と白人という見方では良いバランスでしたよね。

西寺 作詞・作曲がライオネルとマイケル、指揮者はクインシー、歌い出しはライオネルで続いてスティーヴィー、そして三番目に白人のポール・サイモン。「明日に架ける橋」の産みの親ですね。そしてサビはマイケルとダイアナ・ロス。もう完全に黒人の勝利です。そもそもテーマがアフリカの飢餓に苦しむ人々を救うことですから。黒人差別の歴史を持つアメリカの白人アーティストたちは、ある種の贖罪の意識を持ってこの企画に参加してます。だから別に、自分たちはそんなに目立たなくてもいいよね、この曲は才能ある黒人たちに委ねよう、と解釈したはずなんです。でもクインシーはプロジェクトの意義が「調和」だと分かっていたから、白人アーティストにも平等に見せ場を用意しました。ボブ・ディランやブルース・スプリングスティーンを重要な位置に配置して、マイケルやライオネルだけが突出して目立つのを封じ込めました。

―― ドキュメンタリー映像でも、居並ぶスターにマイケルが新しいコーラスを提案し一緒に歌ったにもかかわらず、それをクインシーが感謝しながらも結局採用しないシーンは観ていてこっちがドキドキしました(笑)。

西寺 クインシーでなければ、あのメンバーを仕切れなかったでしょうね。ただ「身内」であるマイケルには少し厳しい対応をせざるを得なかったんです。まだマイケルは年齢的に若かったですしね。キャリアは長いし、むしろベテランの部類だったんですが。ちなみにクインシーはこのプロジェクトの後、鬱病になるんです。本人が自伝で語っています。全体的な徒労感というか、燃え尽き症候群というんでしょうか。白人には勝ったけれど何が残ったのか、と。

―― クインシーの鬱病というのは、マイケル・ジャクソン関連作品の成功が原因だったのですか?

西寺 マイケルばかり後に語られがちですが、それ以外にも自身のソロ・アルバムや、ジョージ・ベンソンでも特大ヒットを生み出し、グラミー賞でも常連。名実ともにクインシーは、世界一のプロデューサーとなりました。ただ、明らかにオーバーワークだったんでしょうね。失敗の許されないプロジェクト続きで。「ウィ・アー・ザ・ワールド」のあと、スティーヴン・スピルバーグ監督の映画『カラーパープル』の音楽制作に入ります。その前段階で、体と精神の不調が。音が狂って聴こえるようになったのが決定的だった、と。彼が言うに「bマイナーがeディミニッシュに聴こえてしまう状況」。見かねた家族のすすめで、クインシーは南の島で数ヶ月療養します。ただし、来た手紙に返事を書こうとしても「こんにちは。クインシー・ジョーンズです」と書くだけで一ヶ月かかるほど状況でした。あの万能の天才クインシーがですよ。しばらくして立ち直るわけですが……。


第4回
マイケル・ジャクソン
「アナザー・パート・オブ・ミー」(1988年)【中編】

『E.T. ストーリーブック』(1982年)

音楽:ジョン・ウィリアムス、ロッド・テンパートンほか

ナレーター/ヴォーカル:マイケル・ジャクソン

プロデューサー:クインシー・ジョーンズ

ジャケット写真は日本盤アナログ(廃盤)



 


第4回
マイケル・ジャクソン
「アナザー・パート・オブ・ミー」(1988年)【中編】

マイケル・ジャクソン

『BAD』

(1987年)

ソニーミュージック オフィシャルサイト



―― その頃マイケルは何をしていたんですか。

西寺 ひたすら次のアルバムの曲作りに邁進していました。’87年夏に発表されることになる『BAD』は、そういったクインシーの状況もあり、結果的にマイケルひとりで作った楽曲にクインシーがスパイスをまぶしたアルバムになるんです。『オフ・ザ・ウォール』はクインシー8、マイケル2。フィフティ・フィフティの関係性で、不自然ながらも奇跡的な融合を果たしたのが『スリラー』。29歳になった数日後、'87年8月末に発表した『BAD』は、マイケル8、クインシー2というべきバランスで完成したアルバムでした。『BAD』で遂にマイケルは「マイケル・ジャクソン物語」の脚本、演出、主演俳優が自分自身であることを宣言したわけです。その権化、シンボリックな楽曲こそ、クインシー不在の時期に『キャプテンEO』のために書いた「アナザー・パート・オブ・ミー」なんです。
(【後編】に続く)





聞き手/安川達也(otonano編集部)




「Another Part Of Me」 Michael Jackson



第4回
マイケル・ジャクソン
「アナザー・パート・オブ・ミー」(1988年)【中編】

マイケル・ジャクソン

『スクリーム』

2017年10月4日発売

ソニーミュージック オフィシャルサイト

プロフィール

西寺郷太
西寺郷太 (公式サイト http://www.nonareeves.com/Prof/GOTA.html)
1973年東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成しバンド、NONA REEVESのシンガーとして、’97年デビュー。音楽プロデユーサー、作詞・作曲家として少年隊、SMAP、V6、KAT-TUN、岡村靖幸、中島美嘉、The Gospellersなど多くの作品に携わる。ソロ・アーティスト、堂島孝平・藤井隆と のユニット「Smalll Boys」としての活動の他、マイケル・ジャクソンを始めとする80年代音楽の伝承者として執筆した書籍の数々はべストセラーに。代表作に小説『噂のメロディ・メイカー』(’14年/扶桑社)、『プリンス論』(’16年/新潮新書)など。

関連作品

■MUSIC
Album『Funkvision』
Album『Discography』★最新作
NONA REEVES
2021年9月8日発売/daydream park
作品詳細はこちら
Album『Funkvision』
Album『Funkvision』
西寺郷太
2020年7月22日発売/daydream park
作品詳細はこちら
Album『未来』
Album『未来』
NONA REEVES
2019年/Warner Music Japan
作品詳細はこちら
Album『MISSION』
Album『MISSION』
NONA REEVES
2017年/Warner Music Japan
作品詳細はこちら
『POP'N SOUL 20~The Very Best of NONA REEVES』
Album『POP'N SOUL 20~The Very Best of NONA REEVES』
NONA REEVES
2017年/Warner Music Japan
作品詳細はこちら
■BOOK
『ディスカバー・マイケル THE BOOK』
『ディスカバー・マイケル THE BOOK』★最新作
西寺郷太・著/NHK-FM「ディスカバー・マイケル」制作班・編
スモール出版/2020年10月29日発売
作品詳細はこちら
『伝わるノートメソッド』
『伝わるノートメソッド』
西寺郷太・著
スモール出版/2020年5月28日発売
作品詳細はこちら
『伝わるノートマジック』
『伝わるノートマジック』
西寺郷太・著
スモール出版/2019年
作品詳細はこちら
『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書』
『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書』
西寺郷太・著
新潮文庫/2019年(*重版新装)
作品詳細はこちら
『ジャネット・ジャクソンと80’sディーバたち』
『ジャネット・ジャクソンと80’sディーバたち』
西寺郷太・著
星海社新書/2016年
作品詳細はこちら
『ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い』
『ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い』
西寺郷太・著
NHK出版新書/2015年
作品詳細はこちら
『プリンス論』
『プリンス論』
西寺郷太・著
2015年/新潮新書
作品詳細はこちら
『噂のメロディ・メイカー』
『噂のメロディ・メイカー』
西寺郷太・著
2014年/扶桑社
作品詳細はこちら
『マイケル・ジャクソン』
『マイケル・ジャクソン』
西寺郷太・著
2010年/講談社
作品詳細はこちら