落語 みちの駅
第七十二回 第170回朝日名人会
6月17日PM2:00から第170回朝日名人会。
歌武蔵門下の二ツ目・歌太郎さんは師匠ゆずりで「植木屋娘」。前名・歌ぶと時代にこの会の前座をつとめた人で、誰よりも勢いよく太鼓を叩いていたのが印象に残っています。最近は噺の運びがよくなってきて、これからが楽しみです。
隅田川馬石さん「宿屋の富」。馬石さんは近年ずいぶん語り口に個性が出てきて、持ち前の線の細さをうまく活用する道に入ったようで、三年後のあたりが楽しみです。
柳亭市馬さん「盃の殿様」。穏やかに淡々と「上つ方」の企まざる滑稽を語る。それがこの噺の本分ですから、何年も前から市馬さんに着目してお奨めしてきました。存分に期待に応えてくれたと思います。ギャグとアクションで刺激的に笑わせる落語も大切ですが、「長者」の風格がある演目と演者が失われては落語の先行きが危ぶまれるというもの。うれしい結果でした。
古今亭志ん輔さん「豊竹屋」。陽気にアクションまじりで演じてくれました。かつての六代目圓生のやり方とは明らかに一線を画していて、今後に残る噺としては志ん輔流のようであるべきかと思います。仲入り後のポジションを生かした鮮やかな一席でした。
柳家さん喬さん「白ざつま(菊江仏壇)」。さん喬さんならではの純愛ストーリーとは少しアングルがちがう噺。そこがむしろ聴きどころで、とくに身勝手な若旦那をどう納得して演じるか、聴いて納得できるかがポイントです。口演後、演者は小首をかしげていましたが、秀演だったと思います。
むかしの時代、いにしえの社会と現代とがぴたっと重なることなどあるはずがありませんから、永遠に小首をかしげるのが古典落語の宿命的醍醐味。まるで首をかしげない演者には未来は託せません。
お客様のアンケートでは後半の三師匠の三席が票数で拮抗したそうです。
淡々とした噺運びから得も言われぬ滑稽味を醸し出した柳亭市馬「盃の殿様」。
語り口に個性が光った隅田川馬石「宿屋の富」。
歌武蔵門下の二ツ目・歌太郎さんは師匠ゆずりで「植木屋娘」。前名・歌ぶと時代にこの会の前座をつとめた人で、誰よりも勢いよく太鼓を叩いていたのが印象に残っています。最近は噺の運びがよくなってきて、これからが楽しみです。
隅田川馬石さん「宿屋の富」。馬石さんは近年ずいぶん語り口に個性が出てきて、持ち前の線の細さをうまく活用する道に入ったようで、三年後のあたりが楽しみです。
柳亭市馬さん「盃の殿様」。穏やかに淡々と「上つ方」の企まざる滑稽を語る。それがこの噺の本分ですから、何年も前から市馬さんに着目してお奨めしてきました。存分に期待に応えてくれたと思います。ギャグとアクションで刺激的に笑わせる落語も大切ですが、「長者」の風格がある演目と演者が失われては落語の先行きが危ぶまれるというもの。うれしい結果でした。
古今亭志ん輔さん「豊竹屋」。陽気にアクションまじりで演じてくれました。かつての六代目圓生のやり方とは明らかに一線を画していて、今後に残る噺としては志ん輔流のようであるべきかと思います。仲入り後のポジションを生かした鮮やかな一席でした。
柳家さん喬さん「白ざつま(菊江仏壇)」。さん喬さんならではの純愛ストーリーとは少しアングルがちがう噺。そこがむしろ聴きどころで、とくに身勝手な若旦那をどう納得して演じるか、聴いて納得できるかがポイントです。口演後、演者は小首をかしげていましたが、秀演だったと思います。
むかしの時代、いにしえの社会と現代とがぴたっと重なることなどあるはずがありませんから、永遠に小首をかしげるのが古典落語の宿命的醍醐味。まるで首をかしげない演者には未来は託せません。
お客様のアンケートでは後半の三師匠の三席が票数で拮抗したそうです。
淡々とした噺運びから得も言われぬ滑稽味を醸し出した柳亭市馬「盃の殿様」。
語り口に個性が光った隅田川馬石「宿屋の富」。