DJ OSSHY TOKYOの未来に恋してる!
安心・安全・健康的なディスコ・カルチャーを伝達することを使命とするDJ OSSHYのインタビュー連載
東京スカイツリー「SUPER SKYTREE DISCO」
固定型のディスコではなく、移動型のディスコというのが平成スタイル。基本的には80’sディスコパーティーというスタイルで、それを羽田空港や東京スカイツリー、クルーズ船……ありとあらゆるところでディスコを仕掛けています。
―― 今、第三次ディスコブームといわれ、OSSHYさんは引っ張りだこですが、OSSHYさんは、どんなハコもディスコにしてしまい、誰もが気軽に足を運べるようにしています。
OSSHY 固定型のディスコではなく、移動型のディスコというのが平成スタイルだと思いますね。それは技術革新、産業革命によって、機材が圧倒的にコンパクトになり、しかも安く手に入るようになって、持ち運び出来るようになった事が大きいです。軽トラでPA機材を持っていけるようになった。もちろん音質もいいので、どんな会場でもディスコになります。
―― どんな会場でも?
OSSHY 私はこの5、6年は例えば羽田空港やスカイツリー、船の中やホテル、イベントホール、ありとあらゆるところでディスコを仕掛けました。皆さんに喜んでいただけたのですが、ひとつ問題なのは、やはり会場の使い勝手です。昔のディスコは教育を受けたスタッフが、オペレーション、レギュレーションがしっかりできていました。音の質も大切なのですが、即席の会場でやっていくとやはり従業員教育とかその辺りはなかなか難しくて、バーカウンターに行列ができたり、クロークで戸惑う人が続出したり、入口でチケットのもぎりがうまくいかず開演時間が遅れたり、不具合が色々なところで出てきます。
羽田空港「Groove Night at Haneda Airport」
シンフォニー「TOKYO AOR CRUISE」
―― どこでもディスコを体験できるようになっても、昔のディスコのホスピタリティを知っているお客さんにとっては、そういうところも気になりますよね。
OSSHY もう本当にホスピタリティが大切です。おもてなしの精神がそれぞれの会場の従業員に、しっかり教育ができているのかが大事です。以前、あるホテルのボールルームで、約2000人を動員してディスコをやった時に、そこのスタッフはそういうイベントが初めてだったので仕方ないのですが、オペレーションがなっていなくて。お客さんは8000円、1万円という高いチケット代を払っているのに、不快な思いをさせてしまいましたが、回を重ねていくうちにどんどん良くりました。
―― 色々なハコで色々なテーマでイベントを仕掛けていますが、やはり選曲はそれぞれの会場をイメージしたものを考えていくのでしょうか?
OSSHY 基本的には80’sディスコパーティーというスタイルで、それを羽田空港や東京スカイツリー、クルーズ船etcという感じなので、基本的な鉄板曲はどこでも流します。クルーズ船でやる時には、あくまでもフレーバーとして海っぽいナンバーやクルージングに適したタイトルが付いている曲とか、そういうものを入れたり。羽田空港やスカイツリーなら、夜景が合う曲とか、ジグソーの「スカイ・ハイ」とか、お客さんがこの場所だからこの曲をかけたんだなとわかりやすく想像してもらえるような曲を入れたり。特にセオリーがあるわけではありませんが、その場所ならではのアクセントになる曲は用意していきます。
シンフォニー「TOKYO AOR CRUISE」
―― やはり準備が大切なんですね。
OSSHY セットリストはある程度仕込みの段階でイメージして臨んで、そのままうまくいく場合もありますが、現場がイメージしていたものと違う雰囲気だったりするので、そこはアレンジしながらです。例えば1時間のプレイの場合は、平均で25曲かけます。なので50曲位は用意していきます。素人さんDJだと、1曲目からラストまで決め込んで、25曲しか持っていかないです。だから盛り上がらなかったり、外したりすると修正ができません。それが若手がやりがちなミスで、そういう人達を“完パケDJ”と呼んでいます。今も昔も最初はそういうやり方からスタートしますが、トラブル対応能力をしっかり付けておいた方がいいですね。スクラッチの技術とか、テクニックは若い人に負けるかもしれませんが、僕が勝てるのは、引き出しの多さというか懐の広さというか。曲の数、知識をどれだけ持っているかです。
―― これまで、70年代、80年代の洋楽を発掘して、色々な作品にしていますが、まだまだ発掘できていない曲はあるのですか?
OSSHY まだまだあります! もう永遠のテーマというか。僕はこれでも80年代の曲は相当知っている方だと思いますが、それでもまだまだ知らない曲があります! たぶん死ぬまでたどり着けないと思います。だから70年代のものに手を出したら最後、もう無限地獄に陥っていってしまっています(笑)。
東京スカイツリー「SUPER SKYTREE DISCO」
グランドハイアット東京「We Love 80’s Disco」
―― これだけ世の中に出ているのに、まだまだあるんですね。
OSSHY あるんですよ! 鉄板というか、本当にメジャーな曲も長いこと聴き続けていると当然飽きるし、どんどん別のものを求めていくじゃないですか。それで変化球という名の、マニアックなものを求めて行きます。その変化球的な曲の数が、あまりにも多く、奥が深すぎるというのと、同時に変化球の良さをどんどん知っていくと、今度はそれを世間に知らせたくなるじゃないですか(笑)。メジャーフィールドの中で、変化球の曲をどれだけ挿し込んでいけるかというのが、またひとつ大きなテーマになってきます。
―― 具体例だと。
OSSHY おなじみのアース・ウインド&ファイアーの「セプテンバー」「レッツ・グルーヴ」とかボーイズ・タウン・ギャング「君の瞳に恋してる」という鉄板の曲で盛り上がっている中に、B級と言われている良い曲をいかに違和感なく挟んでいって、啓蒙していくか。これが今の自分の中での大きなテーマで、でもこれをやり始めると無限なんです(笑)。アルバムの3曲目、4曲目に入っている曲が世に出るという事はあまりなく、でも僕はそれを世間の人達に認知させて、しかも現場で踊ってもらうためには相当刷り込んでいかなければいけません(笑)。それはチャレンジで、根気と勇気が必要なんです。ディスコの場合は、フロアのお客さんを踊らせる事が全てなので。変化球の曲はお客さんにとっては耳なじみがないので、やっぱり踊れないんです。知らない曲で踊らせるという技術で、グルーヴの中に溶け込ませて、お客さんの足をキープさせなければいけません。この曲とこの曲をミックスして、違和感なくお客さんがこのままダンスをキープしてくれるかどうか、いつも練習しています。
東京スカイツリー「SUPER SKYTREE DISCO」
―― 確かにいきなり知らない曲がかかると、フロアから離れて休憩しようかなと思いますよね。
OSSHY フロアで散るじゃないですか。盛り上がっているのが知らない曲だから帰るとか。でも海外では知らない曲でもみんな踊るんですよ。そこが日本との圧倒的な違いで、欧米のクラブでは全然知らない曲のリズムで踊るんです。リズムで踊る外国人と、歌で踊ると日本人の違いというか。みんな腰で踊るんです。リズム隊(ドラム&ベース)の音で踊るというか。上モノが知らない曲でも、リズムがしっかりしているものでノンストップで踊っていく感じです。
―― 日本だと?
OSSHY 日本人は一曲一曲で踊ります。一曲単位で、知っている曲知らない曲という感じで踊るので、盛り上がって盛り下がっての繰り返しで、そういうのが嫌で、グルーヴで踊らせるDJスタイルを目指しています。変な話、みんなが知っている鉄板曲を一曲一曲並べたら、それは盛り上がるとは思いますが、なんというか、品がないんですよ。見た目に品がないというか。気が付いたら、うねりのように盛り上がっていたという方が、見た目にもお洒落ですし、そういう思いがずっとありました。
―― より大人な楽しみ方、感じ方ですよね。
OSSHY それを追求して行くと、曲は際限なくあります。昔先輩に「そのアーティストのヒット曲じゃなくてアルバムを聴け」とよく言われていました。その時のヒット曲は誰もが知っているけど、アルバムの中に入っている曲をディスコから発信していけという事を教わって。それで曲のかけ方を学びました。(つづく)
インタビュー・文/田中久勝