DJ OSSHY TOKYOの未来に恋してる!
安心・安全・健康的なディスコ・カルチャーを伝達することを使命とするDJ OSSHYのインタビュー連載
TOTOのベースのデヴィッド・ハンゲイトに憧れていました
―― 少年時代はバンドをやっていたとお聞きしましたが、OSSHYさんの音楽少年としての感性に大きな影響を与えた音楽、アーティストからお聞かせ下さい。
OSSHY 一番最初の音楽体験としてはカーペンターズでした。親が聴いていたカーペンターズを耳にして、そこから美しいメロディものが好きになったのだと思います。幼少期はもちろんアニメソングも好きでしたが、カーペンターズの歌に触れた時にすごくグッと来るものがありました。洋楽に最初に触れたのもこの時だったと思います。そこからFMのエアチェックにハマりました。最初にカーペンターズを聴いていいと思ったら、どうしても“メロディがきれいな曲がいい曲”っていう風に後々なりますよね。
カーペンターズ『シングルス 1969-1981』
Universal Music
―― そこから美メロものを追いかけるようになったんですね。
OSSHY それがベーシックになっているのかもしれません。小学校1年から英才教育的にピアノを習わされて、5年間くらいやっていました。ピアノだけではなく色々な事をやらされていましたが、クラシックピアノから音楽に触れたという事が、まんべんなく色々なジャンルの音楽を聴くことができる耳を作ってくれたのでは、と思っています。ピアノの旋律が入っている楽曲が好きだったり、今も自分がチョイスする曲にはその影響は出ていると思います。
―― 80年代の洋楽は、美しくて親しみやすいメロディの曲が多いですよね。
OSSHY そうですね。中学2年から高校1年にかけてバンドをやっていましたが、当時デビューしたばかりのTOTOの影響です。TOTOは音もカッコよくメロディも秀逸でした。
TOTO『宇宙の騎士』1978年
Sony Music Labels
―― テクニックが要求される、難しいところに入っていたんですね(笑)。
OSSHY なんちゃってですよ(笑)。フュージョンがすごく流行っていたのでカシオペアをコピーしたり。大体みんな最初はギターから入るじゃないですか。ご多分に漏れず僕も最初はギターでしたが、クラスにむちゃくちゃ上手いやつがいて、こいつを抜けないなと思って、みんながやっていなかったベースを選びました。自分が少しでも目立ちたいから(笑)。それでTOTOのベースのデヴィッド・ハンゲイトに憧れていましたが、ベースでも上手いやつがどんどん出てきて、自分は全然ダメだなあ、ミュージャンには向いていないなと思いました。高校に入って自分が好きな曲を集めたテープを作ってみんなに配っていましたが、元々オーディオ少年だったので、初めてディスコを体験をした時に、DJの存在に触れて、その時、楽器の方じゃなくてこっちだ!みたいな(笑)。当時はやっている人も少なく、もちろん友達でやっているやつはいませんでしたし、ここだったら目立つというか、自分のやっていたアイデンティティとも近いし、パっと開けた世界がDJブースにはありました。
―― テープを作ってみんなに配る事も、DJもどちら人を気持ちよくさせたり、感動させたり、喜んでもらいたいという気持ちが根底には流れていますよね。
OSSHY そういう思いはすごくあったのかもしれません。
カシオペア『CASIOPEA』1979年
カシオペア ハイレゾ特設サイト
―― 先ほど名前が出ましたが、TOTOのデヴィット・ハンゲイトの他に好きなベーシストはいらっしゃいますか?
OSSHY 当時はカシオペア櫻井哲夫さんの熱狂的なファンでした。好きすぎて自宅まで押しかけて行ったり(笑)。そのあとは、ディスコで触れた音がきっかけで、好きなベーシストがたくさん出てきました。マーカス・ミラー、バーナード・エドワーズ、ラリー・グラハム……ベースの音色で音楽を聴くのが趣味になっていました。
―― そのミュージシャンが参加しているアーティストの作品を探しましたよね?
OSSHY 探しました。レコードは必ずミュージシャンのクレジットを見て買っていました。AORは好みの曲を探して辿っていくと、ほとんどがTOTOのメンバーだった、という事がよくありましたよね。スタジオミュージャンが神の時代でした。クレジットのスタジオミュージャンの名前に憧れていましたが、当時はそういう情報があまりなくて、雑誌にも裏方さんが表に出てくることはなかった時代でしたので、レコードしか情報源がありませんでした。プロデューサーが誰とか、音楽マニアはそっちから音楽を聴いていたイメージがあります。
―― 当時は今のようにネットもありませんから、レコードのクレジットと自分の耳だけを頼りに、好きな音楽を探していました。
OSSHY そうですね。耳だけでこの音色が好きとか、この音色はベースのあの人と似ている、あの曲と似ているとか判断してチョイスしていました。それで、この曲とこの曲が似ているから合うんじゃないかとか、自分の耳だけを頼りに並べていって、後々それが同じミュージシャンだったとか、だから似ているんだという事がわかってきたり、そういう感じでした。80年代後半になると『FM STATION』とかFM誌や『ミュージック・ライフ』とか音専誌が登場して、クレジットや制作裏話を知ることができるようになりました。(つづく)
インタビュー・文/田中久勝