落語 みちの駅

第五十九回 この秋の「お直し」
 9月28日夜、桃月庵白酒さんの「長月二夜・志ん生蔵出し」の第二夜を聴きました。「親子酒」「幾代餅」「お直し」の3席、ゲストは売り出し中の若手講談師・神田松之丞さん。白酒さんにとっては師の師のそのまた師にあたる、かの五代目古今亭志ん生のネタに、いわば喰らいつく独演会。

「幾代餅」も「お直し」も志ん生あって今日に語り継がれた噺であることは、はっきりしています。昭和戦後に「紺屋高尾」を演じる人(六代目三遊亭圓生)はあっても「幾代餅」をやった人は他になく、「お直し」に至っては志ん生が芸術祭の賞を得て(昭和31年・1956年度)絶滅危惧種から脱出した演目と言えるでしょう(だからといって「お直し」を古今亭・金原亭の侵すべからざる聖地のように言う近頃の偏狭なナショナリズムを私は支持しません。「お直し」には志ん生の前に三代目柳家小さんがあって、その速記録は志ん生も抜け目なく参考にしたものと思われます)。

 たった一度ですが、志ん生の「お直し」を実演で聴きました。芸術祭賞受賞から1年余りあとの三越落語会でのトリの高座でした。遠い昔のことですし私も中学生でしたから到底聴きこなしたとは言えませんが、「どんなところか知ってんのかい。お客を蹴っ転がして入れるからケコロッてんだよ」の語気の鋭さが今も耳に残っています。病気で舌がもつれる前の志ん生にはそんな一面もありました。

 一方で女房になじられ、あっさり「目が覚めた」と言う亭主の軽薄な言い節も耳に残っています。

 9月17日の朝日名人会で古今亭志ん輔さんが「目が覚めた」を言わなかったことはその折に記しました(第五十七回 第162回朝日名人会)。

 白酒さんは「目が覚めた」を言う線で演じました。言うか言わないかは大事なことではありませんが、演者それぞれの噺のとらえ方が見えるポイントではあります(ちなみに古今亭志ん朝さんは「目が覚めた」を言いました。ついでに思い出話をしますと、志ん朝さんの「お直し」は志ん生にくらべてヒューマニズムが勝ち過ぎているけど、これは現代の「お直し」としてCD化すべきだ、と故・榎本滋民氏と話し合った記憶があります)。

 白酒版「お直し」は力演で隙のない、なかなか聴かせる口演でした。惜しむらくは(誰もがそうなりがちですが)亭主の人格が場面場面で少し別人がかってしまうこと。親切な彼が、次の場面では身を持ち崩し、ケコロの仕事では意気地がなく、「直してもらいな」は再三強い口調で言う。少しカメレオン人間。

 つまり各場それぞれの聴かせどころはとらえていて適切に演じているけれど、一貫性がまだ弱く、ドラマに大きな流れが生まれにくい――、と私は思ったのです。

 名人用の物差しで若手を測っちゃかわいそうだよと言われそうですね。でも私は少し長く聴きすぎた人間としてどうもこんな聴き方になってしまうのです。「禁酒番屋」じゃないけど、あのここな、正直者め。




※次回、第六十回は10月21日更新予定です。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。