落語 みちの駅

第五十六回 圓朝作品における部分と全体、あるいはうわべと核心(その3)
 昭和戦後の人情噺復活のムーヴメントのうち、突出した成功例として私は圓生の「牡丹灯籠――栗橋宿」を挙げます。1957年の夏、ラジオで聴いてショックを受け、まもなく有楽町の東宝名人会でナマを聴いて、改めて舌を巻きました。あとから思えば、それは多分に歌舞伎世話狂言の感覚を採り入れた一人芝居型の話芸ドラマではあったのですが、とにかく圓生は「栗橋宿」で誰も足を踏み入れなかった世界を歩いてみせたのでした。

 余談めきますが、その翌年の圓朝祭での圓生の「怪談乳房榎――おきせ口説・重信殺し」と併せて二つの体験が、のちに圓生を徹底録音する道の出発点になりました。もうひとつ余談めけば、その圓朝祭で志ん生は「業平文治漂流奇談」を、正蔵は正本芝居噺として「真景累ヶ淵――水門の場」を演じたのでした!

 圓生が時代を画したのは「牡丹灯籠」だった、というより「栗橋宿」だったと言うべきでしょう。久蔵に酒を飲ませて伴蔵の浮気を探るお峰の年増女の色気、伴蔵にぶちまけるあられもない嫉妬。女を描かせれば無敵といわれた芸を生かして圓生は名人の座に肉薄したのでした。圓生は「栗橋宿」の前講のように「お札はがし」などもやりましたが「牡丹灯籠」の通し口演など考えもしなかったと思います。

 十日単位の連夜口演に大勢の客を引き寄せるのが現実的でない昨今将来、演者は長編の中から自分ならではの名場面を見つけ出して誰にも邪魔されることのない絶対の表現境を築いてほしい。

 そんな珠玉の奇跡は一演者に一席か二席あれば充分なのです。

 いや、芸とはそういうものでしょうよ。人間は博物館にゃなれないのですから。

 そんな絶対のネタをもつ噺家が数名もいればもういちど名人の時代は来るし、そうなれる人材大いにありだと申し上げます。

 私は正蔵の「戸田の河原(おこん殺し)」が好きです。ただし他の演者で聴きたいとも、この噺の他の場面を知りたいとも思いません。圓朝全集で読んだ「緑林門松竹」の小僧平吉という悪党のキャラクターにとても惹かれるのですが、いまだに耳で聴くことができないままです。

 ところで講談では「牡丹燈記」をどれほど演じているのでしょうね。中国・明時代の怪奇小説で圓朝の「牡丹燈籠・お札はがし」の原記として知られ、講談ではかつてよくやっていたし、岡本綺堂が劇化して、芝居でもよくやっていました。

「幻想的」という意味ではこの原典のほうがパロディの「お札はがし」より上ですよ。




※次回、第五十七回は9月23日更新予定です。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。