落語 みちの駅

第五十回 喜多八さんを偲ぶ会のこと
 7月11日(月)18時から一ツ橋の如水会館で柳家喜多八さんを偲ぶ会。師匠の柳家小三治さんがスピーチで「よく来てくださいました……来過ぎです」と仰言ったとおり、一時は歩行もままならないほどに大勢の人が集まってワイワイガヤガヤの盛況でした(寄席芸人の通夜は昔はにぎやかなものと決まっていました。近年だいぶノーマルになってきたのです)。

 芸人は最期の旗揚げにどれほどの客を寄せるかで真価が定まる稼業ですから、噺家らしからぬ隠花植物型の生き方、言動に徹した当人・喜多八さんとしては見事な人生のサゲがついたように思います。

 娘さんの挨拶が自然でまともで真摯で、しかも行き届いていて、とてもクリーンでした。小三治さんも「喜多八にしゃべらせてもこれほどには」と讃えていましたが、昔から素人の真情こもる話に勝てるほどの噺家の営業ことばは稀にしかありません。小三治さんはそれを悟っている人ですから、満場の同業者に多少皮肉な警鐘を鳴らしたのかと思われます。

「扱いにくい弟子でした」とも小三治さんは言いました。何しろ陰気な、私(小三治)に輪をかけて陰気なやつだったから、とも言いました。

 そして圓生師匠(六代目)の家へ噺の稽古で通っていた頃、圓生師匠からよく「どうしてそう陰気なんです」と言われた、というエピソードも声色まじりで披露していました。

 小三治さんは実は師匠の五代目小さん師からも「陰気だ」「おもしろくねえ」と言われていたそうです。喜多八さんも小三治さんも陰が陽に転じて、あるいは陰が陽に作用して、化学変化して一流になった人なのかもしれません。根っから陽な芸人は早い段階で成功するけど……の前例はいくつもあります。

 五代目小さんも六代目圓生も若いうちは陰気だ陰気だと言われ続けた人だったと聞いています。真の大物は陰陽二筋道を制覇する。それがわかっているので、将来に見込みのありそうな後輩演者ほど、ことさらに陰気を指摘されるのかもしれません。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。