落語 みちの駅

第四十三回 さよなら喜多八さん
 柳家喜多八さんの訃報が逝去から3日ほどたった5月20日に公表されました。お悔やみを申し上げます。

 私は喜多八さんには何回か朝日名人会に出演していただきましたが、さらに深くお付き合いをしないままでしたので、故人について多くを語る資格はありません。

 それでも四半世紀以上も前のことですが、上野の鈴本演芸場で初期は年5回開催されていた「柳家小三治独演会」をレコーディングし続けていましたので、入れ替わり立ち替わり前高座をつとめるお弟子さんたちはよく聴いてきたつもりです。

 小三治師匠がとても個性的なわりには堅実でオーソドックスなタイプのお弟子さんが多いなか、二ツ目時代の柳家小八には曲者の資質を感じました。一口に言えば個性的ということになりますが、いわゆる個性派につきもののウルササがない。どうだオレは!的オーバー・アクションなど全くない。ボヤキ口調で、あまり力むこともなく、半分シラケたように語るのみだが、決して手抜きはしていない――。

 小八時代の喜多八さんは丸くて頬のピンと張った顔で、わりあい色白、血色もよい人でした。少し老けてきてから、虚弱を売りにし、けだるそうに高座に出る挙動で別の意味の個性を強く出していましたが、その頃から語り口に不思議な流動感が生まれて、その調子でどんな噺も聴かせてしまう、他に類を見ない、真の個性派の域に達したようです。

 真打昇進の少し前だったでしょうか、鎌倉での小三治独演会に私が色物代わりで30分講演をするという、お恥ずかしい次第がありました。小八(喜多八)さんのあと小三治師匠が1席、仲入り後に私、そして小三治師匠がもう1席という構成でした。

 開演前、楽屋で小三治さんとしばし雑談をしたあと、私は隣室へ行こうとしました。その小部屋が不肖私の楽屋なのです。行きかけると小八さんが小走りに追いかけてきて、師匠に聴こえないように小さな声で言いました。

「すぐ戻って下さい、お願いします」

 時間いっぱい小三治師匠のお相手をしていてほしい、師匠と二人きりにしないで下さい――。

 小八さんは真剣に切実に言いました。

 師弟とはそうしたもの。人をくった高座ぶりが板に付きかけた頃の喜多八さんの、そんな案外純情な素顔が忘れられません。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。