落語 みちの駅
第三十八回 ラジオで落語を見せよう、だなんて――志ん朝のこんにゃく問答雑感
昔むかしのその昔、と言ったってチョン髷時代の話ではなく、戦後10年とちょっと、テレビはまだ高根の花だったけれど、どこの家にもラジオがあって、ひと晩に何席もの落語が聴けた時分の話です。
人気絶頂の五代目古今亭志ん生がラジオで「こんにゃく問答」をやりました。ご存知のようにクライマックスは禅僧の「問答」が無言の行で展開、しばし仕草のやりとりだけになります。ラジオはどう対処していたか?
やおらベテランの男性アナウンサーが登場し、志ん生落語の実況中継を始めたのです。「志ん生さんは両手の指先を合わせて丸をつくりました」といった具合で、せいぜい20秒前後とはいえラジオのリスナーは志ん生の芸ではなく某アナウンサーのルポを聞かされたのでした。
中学生でしたけど私はシラケました。こんなもの聴いたってしょうがない。かりにその録音がのちにの世に残っても、ほとんど価値もない。変なもの聴いちゃったな――。
同じ頃やはりラジオで二代目(先代)三遊亭円歌が上方落語「小倉舟」を江戸ナイズした「竜宮」をやり、噺のアンコに踊りました。三味線を往年の浮世節の名手・西川たつがひいたので、踊りは見えなくても音楽に切れ目はなく、どんな高座か想像がついたのですが、これにもアナウンスが介入しました。落語にとっての第1次メディア時代とは、そんな程度のものだったのです。
時代が下り、「圓生百席」の録音に取り組んだとき、むろん「こんにゃく問答」を採用することはしませんでしたが、今回「志ん朝 東宝」の編成にあたって少し別の考えをしてみました。20秒ほどの無言の“境地”のため30分の全体を葬ってしまうのはいかがなものか。志ん朝さんの「こんにゃく問答」はそれほど魅力的なのです。特典盤としてアルバムの末尾に参加してもらおうか。映像の時代からすれば、こんなこともまた近くて遠い昔話なのでしょう。
人気絶頂の五代目古今亭志ん生がラジオで「こんにゃく問答」をやりました。ご存知のようにクライマックスは禅僧の「問答」が無言の行で展開、しばし仕草のやりとりだけになります。ラジオはどう対処していたか?
やおらベテランの男性アナウンサーが登場し、志ん生落語の実況中継を始めたのです。「志ん生さんは両手の指先を合わせて丸をつくりました」といった具合で、せいぜい20秒前後とはいえラジオのリスナーは志ん生の芸ではなく某アナウンサーのルポを聞かされたのでした。
中学生でしたけど私はシラケました。こんなもの聴いたってしょうがない。かりにその録音がのちにの世に残っても、ほとんど価値もない。変なもの聴いちゃったな――。
同じ頃やはりラジオで二代目(先代)三遊亭円歌が上方落語「小倉舟」を江戸ナイズした「竜宮」をやり、噺のアンコに踊りました。三味線を往年の浮世節の名手・西川たつがひいたので、踊りは見えなくても音楽に切れ目はなく、どんな高座か想像がついたのですが、これにもアナウンスが介入しました。落語にとっての第1次メディア時代とは、そんな程度のものだったのです。
時代が下り、「圓生百席」の録音に取り組んだとき、むろん「こんにゃく問答」を採用することはしませんでしたが、今回「志ん朝 東宝」の編成にあたって少し別の考えをしてみました。20秒ほどの無言の“境地”のため30分の全体を葬ってしまうのはいかがなものか。志ん朝さんの「こんにゃく問答」はそれほど魅力的なのです。特典盤としてアルバムの末尾に参加してもらおうか。映像の時代からすれば、こんなこともまた近くて遠い昔話なのでしょう。