落語 みちの駅

第三十七回 独特な志ん朝の「粗忽長屋」
「志ん朝 東宝」で初CD化される志ん朝演目に「粗忽長屋」があります。これは志ん朝さんが折りにふれてやっていた演目で、そう珍しいとも言えないのですが、寄席や地方の独演会でのネタでありまして、名だたる東京のホール落語、たとえば東横落語会(旧)、落語研究会などでやる噺ではなかったので、ちょっと日蔭者扱いだったのは事実です。

 なぜそうなったのか。やはりこの噺は三代目以来の柳家小さんの看板演目で、至近の位置に五代目小さんの名演があったために、楽屋マナーにきびしく昔気質の志ん朝さんは控えめに対処していたのだと思われます。

 五代目小さんより干支で二回りマイナス1年若い志ん朝さんが、小さんより半年強早く先立ったので、この事情は変わらずじまいでした。

「粗忽長屋」は「抱かれている俺はたしかに俺だが、抱いてる俺はいったい誰だろう」が落語のサゲ中のサゲのように感心された時代があって、五代目小さん全盛期の頃ほどではなくても、今も人気の高い噺ですが、現・柳家小三治さんをはじめ、ほとんどが小さん型ですから、それとはかなり対照的な志ん朝版はむしろ新鮮にさえ感じられます。

「死んだ熊さん」と「生きている熊さん」の2つの肉体が存在して何が悪い、という錯覚にはまり込んだ粗忽者2人。それでも一方はマメで他方は無精だというのが小さん系「粗忽長屋」のミソで、それぞれの思い込みの深さを小さん系は「間(ま)」で表現しています。

 志ん朝さんはそのあたりを病理現象に仕立てたわけでもないのでしょうが、止めても止まらぬ意識の一人歩きととらえていたようで、迅いテンポと軽快なリズムで描き切っています。

 待ったの掛けようがないほどフル回転し続ける粗忽マシンを見ているようです。

「本人ということ(切り札)についちゃ、(先方も)何も言えないんだ」と鼻高々に宣言する場面などは小さん系にはないおもしろさです。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。