落語 みちの駅

第三十六回 「巌流島」では唯一志ん朝が
 CD12枚組アルバム「志ん朝 東宝」に演目として初めて公開される、つまり初めて録音で聴けるようになる噺は、「幇間腹」「のめる」の他に「巌流島」と「粗忽長屋」があります。

「巌流島」は1960年前後まではなかなか人気の噺でしたが、今は進んで演じる落語家が払底しつつあるようで残念なことです。

 キセルの雁首を川中へ落とした無頼漢型の若い武士が八つ当たり半分で渡し舟の相客の屑屋を手討ちにするといきり立ち、仲裁に入ったやはり相客で身分ありとおぼしき老武士と岸へ戻って果たし合いをすると言い出します。

 勇んで岸に上がった若い武士。老武士は槍の石突きで桟橋を突いて舟を岸から離す不戦勝の戦法。歯噛みした若い武士は川へ飛び込み潜水水泳法で舟へ近づく。舟底をえぐりに参ったか?「いや落とした雁首を探しに来た」。若い武士の意外な答えでサゲ。

 サゲのよさは誰もが認めますが、全体にウケが薄い。これが「巌流島」を敬遠する現代落語家の理屈です。乗り合い舟の中なので上下(かみしも)がつけにくいとまで言う人もあります。これ、ヘリクツですよ。

 往年の三代目三遊亭金馬、六代目春風亭柳橋、六代目三遊亭圓生は「巌流島」でウケていました。三者の共通点は、乗り合わせた数人の名もなき「小群衆」を主人公にしていたこと。状況の変化次第で無責任に日和見を決め込み、言いたい放題を言う小群衆の人格化と個性化に成功し、名作を生かしていたのです。

 近年の演じ方は老若二人の武士と屑屋を主役にしているようで、老武士を文学青年に変えたり苦労していますが、この三人は何一つおもしろいことを言わない、芝居で言えば小道具同然の役割。そこに力を入れてくれても、噺は固まっていくばかりですよ。

 ポスト「昭和の名人」世代の「巌流島」で唯一の成功例が古今亭志ん朝でした。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。