落語 みちの駅

第三十五回 「芝浜」の凡演よりも「のめる」の快演を
「志ん朝 東宝」には「のめる」が収録されています。何かにつけて「一杯飲める」と反応する男と「つまらない」で受け答える男。

 自分では無意識につい言ってしまうのですが言われた相手はあまりいい気分がしない。

 どうもいい口癖ではないから改めよう。ついては、罰金を設けて互いに言わないゲームをしよう。禁句合戦が始まって、なんとか相手に言わせようと図る――。別名「二人癖(ににんぐせ)」という、15分ほどで済む軽量落語。

 おもしろいのですが、近年は不遇の噺です。この種のネタがあまり演じられず、楽しまれないようでは近い将来が危ぶまれます。落語がホントに疾風怒濤のパワーに満ちていた1960年前後には、寄席で、ラジオで第一線級の演者がよく「のめる」を聴かせてくれたものでした。

 軽量級の噺ですが、前座噺としては難易度が高いのです。とくに詰め将棋の場からサゲにかけて、つまり噺の後半は駆け引きあり、心理戦ありで、しかもトントンとサゲなければならず、ベテラン真打級の技量を要します。

 加えて、「つまらない」は「飲める」よりも言語としての使用範囲が広いので、登場人物の“セリフ”としてでなく演者自身のマイナス・アドリブとして言ってしまう可能性がかなりあります。

 そうなったら噺はぶちこわしで、全くしゃれにもなりません。そこで君子でなくても危うきに近寄らず、一流の落語家は「のめる」を避ける、というわけ。で、あたら名作が不遇をかこつご時世になっているのです。

 第一、「のめる」で苦労しても世間は高く買ってくれません。ここに最大の問題点があるようです。責任は聴き手側にもあり、ですかね。

「文七元結」や「芝浜」の凡演・駄演よりも「のめる」の快演に喝采する世の中になってほしい。志ん朝さんの「のめる」をぜひお聴き下さいまし。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。