落語 みちの駅
第三十三回 志ん朝さんはきれいな音が、お似合い
古今亭志ん朝が東宝名人会で演じた落語の未発表録音を集めたCDアルバム「志ん朝 東宝」がいよいよ4月13日に発売されます。志ん朝没後15年を今秋に控えて久しぶりの“新録音”です。
できることなら自分の芸をのこしたくない、いつまでも聴かれたくないと念じていた志ん朝さんが生前に発表を、それも渋々ながら認めたのは197、80年代の三百人劇場での「志ん朝の会」の録音(例外的に同時期の本多劇場と大阪・毎日ホールでの録音)と1991―2001年の朝日名人会の録音しかありません。
芸の出来栄えもサウンドもクリアーこの上なく、不世出の落語家のかすかな息使いさえ聴こえるほどのものだった、と制作担当者としては自負させて頂きましょう。
志ん朝さんの芸と高座ぶりは鮮やかという点では古今東西に傑出したものでしたから、録音も澄み渡っていなければ環境として不全だと考えています。
この十年ほどの間に各所から志ん朝さんの録音が世に出ましたが、過半は記録録音ランクの、パースペクティヴに欠け、芸の輪郭が少し曖昧なものでした。
それでも“志ん朝さん”に違いはなく、それなりには楽しめたわけですが、沼に棲むアユはいいとこ佃煮か竹輪の材料では……。
東宝演芸場と日比谷・芸術座での「志ん朝 東宝」の録音はレコードメーカー次元のものではありませんが、記録録音の域を大きく超えたもので音声がしっかり安定して明瞭です。客席の反応にもリアリティがあって、記録録音にありがちな“遠くのノイズ”にはおちいっていません。
志ん朝さんにとっては東宝名人会はホール落語であるよりもグランド寄席でしたから、どの高座にも気張りがなく、これほどゴキゲンな志ん朝さんが聴けるのは、三百人劇場録音にもなかったこと。次回は演目について少しお話させて頂きます。
できることなら自分の芸をのこしたくない、いつまでも聴かれたくないと念じていた志ん朝さんが生前に発表を、それも渋々ながら認めたのは197、80年代の三百人劇場での「志ん朝の会」の録音(例外的に同時期の本多劇場と大阪・毎日ホールでの録音)と1991―2001年の朝日名人会の録音しかありません。
芸の出来栄えもサウンドもクリアーこの上なく、不世出の落語家のかすかな息使いさえ聴こえるほどのものだった、と制作担当者としては自負させて頂きましょう。
志ん朝さんの芸と高座ぶりは鮮やかという点では古今東西に傑出したものでしたから、録音も澄み渡っていなければ環境として不全だと考えています。
この十年ほどの間に各所から志ん朝さんの録音が世に出ましたが、過半は記録録音ランクの、パースペクティヴに欠け、芸の輪郭が少し曖昧なものでした。
それでも“志ん朝さん”に違いはなく、それなりには楽しめたわけですが、沼に棲むアユはいいとこ佃煮か竹輪の材料では……。
東宝演芸場と日比谷・芸術座での「志ん朝 東宝」の録音はレコードメーカー次元のものではありませんが、記録録音の域を大きく超えたもので音声がしっかり安定して明瞭です。客席の反応にもリアリティがあって、記録録音にありがちな“遠くのノイズ”にはおちいっていません。
志ん朝さんにとっては東宝名人会はホール落語であるよりもグランド寄席でしたから、どの高座にも気張りがなく、これほどゴキゲンな志ん朝さんが聴けるのは、三百人劇場録音にもなかったこと。次回は演目について少しお話させて頂きます。