落語 みちの駅

第三十二回 志ん朝・小三治のバトンタッチ
 ようやく東京も春めいてきました。ちょうど15年前の春、4月14日(土)は朝日名人会の第16回、トリで古今亭志ん朝さんは「お若伊之助」を演じました。顔色がすぐれず、あまり機嫌がよくないようでしたが、前年夏のやつれからだいぶ回復したようで、まさか半年後にいなくなるとは思いませんでした。

 次の出演は第20回、9月22日の予定でした。演目は6月に「品川心中」に決まりました。翌7月の下旬だったと思いますが、志ん朝さんは旧イイノホールでの圓朝祭に出演しました。声のパワーが小さいので不安になりましたが、「へっつい幽霊」をきっちり演じました。マクラでいきなり、「魚河岸と申しますと江戸の頃は日本橋で、芝の浜にも」とまるで「へっつい幽霊」に無関係なことを言い出し、すぐに「……これはあとの人の言うことで」と切り替えました。

 これはトリの柳家権太楼さんの「芝浜」にことよせたイタズラで、こんな茶目っ気があるのなら心配あるまいと思いました。

 8月中旬、志ん朝夫人から電話があって、いま浅草演芸ホールで公演中の「住吉踊り」が終わったら春まで休むので、9月の約束は果たせない、申し訳ないけれども――と言われました。病気であれば致し方のないところ。志ん朝さんの回復を祈りつつ、9月22日朝日名人会の穴埋めにとりかかりました。

 この穴を埋める人は柳家小三治さんだ。すぐに小三治オフィスにかけ合いました。実は小三治さんは翌10月の朝日名人会に「味噌蔵」で出演の予定でしたから、二回連続出演は頼みにくいところです。でも非常時と察してか、小三治さんは受けてくれました。

 ネタは別でもいいでしょ。小三治さんはポツリと言いました。「品川心中」もやる小三治さんですが、当日のプログラムには「お楽しみ」と記載しました。

 それが「ドリアン騒動~備前徳利」。小三治ま・く・ら5アルバムの中でも特別ないきさつを持った作品です。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。