落語 みちの駅
第三十一回 小三治「歌ま・く・ら」秘話
柳家小三治さんのCD5枚組アルバム「まくら全集」(通販商品)のうち「歌ま・く・ら」は異色の1枚です。
2002年7月14日、第27回朝日名人会は事実上の小三治独演会。ただし予告演目なし、というより、いわゆるネタをやらない、高座2席とも「ま・く・ら」のつもりという会で、当日のプログラムは見た目にはノッペラボウでした。
それでも一席は消滅した寄席のしにせ・人形町末広の想い出を語るという暗黙の了解があって、当日の客には昭和30年代のある日の、もちろん若いさん治――二ツ目時代の小三治さんの名前が載るプログラムの復刻版が配られましたから、私など内側の人間にはある程度方向性は見えていました。
結果、2席の「ま・く・ら」は「人形町末広の思い出」「あの人とっても困るのよ」となって、後者で小三治さんは青春時代の淡い恋物語を何曲かの歌を、織り込んで語り尽くしたのです。
それはとてもおもしろく、印象深いものでしたが、CDにするなら、高座のアカペラではなく、伴奏付きで録音したい、と私は小三治さんに言った覚えがあります。といってスタジオ録音では、歌は冴えてもことばの妙味が生まれないだろう。どうしたものか――。
2年近く経ったある日、小三治さんからある女流音楽家の歌曲リサイタルの招待状が届きました。上野の東京文化会館小ホールで開かれる、その日本歌曲(クラシック系)の夕べに小三治さんがゲスト出演し、ピアノ伴奏で何曲か歌うというのです。2年前の楽屋話への、これが回答だと私は思いました。
その年・2004年9月に小三治さんは札幌郊外・東真駒内の六花亭ホールで“ライブ”を行い、ピアノを伴奏に立ったままで青春を語り、その時代の歌を歌い、時間を忘れたように22時すぎまで精魂を傾けたのでした。
それを1枚のCDにするにはかなり技術的に苦労はしました。私の知る、いちばん緊張していた小三治師匠です。
2002年7月14日、第27回朝日名人会は事実上の小三治独演会。ただし予告演目なし、というより、いわゆるネタをやらない、高座2席とも「ま・く・ら」のつもりという会で、当日のプログラムは見た目にはノッペラボウでした。
それでも一席は消滅した寄席のしにせ・人形町末広の想い出を語るという暗黙の了解があって、当日の客には昭和30年代のある日の、もちろん若いさん治――二ツ目時代の小三治さんの名前が載るプログラムの復刻版が配られましたから、私など内側の人間にはある程度方向性は見えていました。
結果、2席の「ま・く・ら」は「人形町末広の思い出」「あの人とっても困るのよ」となって、後者で小三治さんは青春時代の淡い恋物語を何曲かの歌を、織り込んで語り尽くしたのです。
それはとてもおもしろく、印象深いものでしたが、CDにするなら、高座のアカペラではなく、伴奏付きで録音したい、と私は小三治さんに言った覚えがあります。といってスタジオ録音では、歌は冴えてもことばの妙味が生まれないだろう。どうしたものか――。
2年近く経ったある日、小三治さんからある女流音楽家の歌曲リサイタルの招待状が届きました。上野の東京文化会館小ホールで開かれる、その日本歌曲(クラシック系)の夕べに小三治さんがゲスト出演し、ピアノ伴奏で何曲か歌うというのです。2年前の楽屋話への、これが回答だと私は思いました。
その年・2004年9月に小三治さんは札幌郊外・東真駒内の六花亭ホールで“ライブ”を行い、ピアノを伴奏に立ったままで青春を語り、その時代の歌を歌い、時間を忘れたように22時すぎまで精魂を傾けたのでした。
それを1枚のCDにするにはかなり技術的に苦労はしました。私の知る、いちばん緊張していた小三治師匠です。