落語 みちの駅

第二十七回 カミ・ナカ・シモ
 寄席興行の区切りは月の1日から10日までを上席(カミセキ)、11日から20日までを中席(ナカセキ)、21日から30日までを下席(シモセキ)といいます。ご存知の方も多いことでしょう。カミ・ナカ・シモと本職の噺家きどりで略して言う人もあり、2月の上席を「ニカミ」などと言って、通ぶる無邪気な落語ファンもいるようです。

 正月だけは上席を「初席(ハツセキ)」、中席を「二之席(ニノセキ)」と呼ぶ。これもご存知でしょう。21日からは他の月と変わらず「シモセキ」です。

 これは江戸時代からの伝統でもしきたりでもありません。明治、大正の頃までは「中席」はなかった。つまり15日までの上席と30日までの下席で1カ月を二分する体制だったのです。むろん、トリは15日連続でつとめるのが本来。

 三遊亭圓朝作の、たとえば「真景累ヶ淵」のような続き噺が延々と長いのは、15日間を連続口演したためで、もし名人圓朝が100年先まで健在であったなら、10日バージョンに改訂したことでしょう。

 現在の10日体制が一般化、定着したのは昭和に入ってからのことと思われます。明治末から大正にかけて落語界がいろいろゴタゴタしました。その終息が見えてきたのは、1930年(昭和5年)の現・落語芸術協会の結成でしょう。31歳の6代目春風亭柳橋と29歳の柳家金語楼が正副会長に就任したのも斬新でしたが、これは長老・5代目柳亭左楽(1953年没)というゴッドファーザーあってこその大胆な人事でした。

 左楽はそれより前に「落語睦(むつみ)会」という会派設立のリーダーになりました。この会は新進気鋭の若手を看板にしたグループで、左楽は機動性を欠いた15日興行に見切りをつけ、席亭をくどいて10日制をとり、その成果を見た他派も次第に10日制へと移行したのでした。

 それから80年以上です。今、落語芸術協会は10日間をさらに前半、後半に分けて顔ぶれを替えています。単日の落語会が激増した現代、寄席までが気短かになることもあるまいという考え方もありましょうが、形のない「芸」を商うためには、伝統よりも「お客様」の動向を読むことが肝要でしょう。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。