落語 みちの駅

第二十一回 「黒門町の師匠」の値打ち
 1971年12月12日に8代目桂文楽が他界してから44年がたちました。

 たちました――、と会話体で口火を切らせてもらいます。これからもそうするつもりですのでどうぞよろしく。会話体の表現に徹する落語について述べるなら、やはり会話体でいくのが本来でしょう。初めから印刷活字をめざした論考ならともかくのこと。

 で、黒門町の文楽師匠。いろいろな場で書き記しましたが、私の通った中学校から徒歩5分とかからないところに文楽さんの、その高座そのもののように美しく磨き上がった終の栖(すみか)がありまして、少年時代によくその路地を歩いたものです。

 一度くらい名人の素顔を拝観できてもよさそうなものですが、その淡い望みは叶わずじまい。陽気の良い時分に開け放たれた二階の窓から、戦後10年の頃にはやった純白のスピッツ種の愛犬が首を出している光景は再三目撃しましたけれど。

 その頃の世評は唯一文楽を落語名人の象徴としていました。今でこそ志ん生・圓生との三幅対のように言いますが、あの頃の人々はみだりに名人のレッテルを貼ろうとしなかったようです。

 それは「名人」像というものをことのほか後生大事にしていたからですが、軽々に名人を指定して自分が恥をかくのはご免だと思う、そんな昔の日本人に特有の日和見主義もあってのことだったでしょう。

 破天荒におもしろい志ん生、当時急上昇中だった圓生にはまだリスクを感じる。文楽にはすでに安定感があり、有難味さえ感じられる。安心して名人とあがめて差し上げましょう――。世論というものは、差し迫った事態については過激な本音に傾きますが、命に別条がない件については建前主義もいいとこ。まして落語においておやです。さてそうなると昔も今も、落語の真の聴き手は一体何人いるのか?って話にもなりますがね。

 現代における8代目文楽の評価は少しも否定的になってはいませんが、だいぶ限定的になりました。

 桂文楽の評価の推移は、彼が録音録画をかなり残す世代の人だっただけに、明治・大正の名人たちにまさって現代に大きな示唆を与えてくれるように思います。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。