落語 みちの駅

第二十回 志ん朝さんの身替り
 仕事仲間と鰻屋の夜を楽しむ。忘年会のようなもの。5人に満たない小人数なので文京区は江戸川橋の、といってももう大曲に近い、トッパンホールの隣のブロックにひっそりたたずむIという店の座敷。

 かつてはひっそりとたたずんでいて、外見は今も変わらないのだが、グルメ情報とびかう大東京ゆえか数年前からふらり訪れても入れないほど繁盛している。まずはめでたしなれどもわが足は遠のきがちになった。

 ここは古今亭志ん朝の墓所・還国寺からそう遠くない。徒歩10分か。近年、先代金原亭馬生は墓所を別にしたが、かの志ん生もここに眠っている。

 時間がたっぷりあるときにこちらもひっそりIに足を運んでいたのはもう20年も前のこと。評判はかねてから聞いていたが地の利が悪いので行かないままになっていたのはもっと昔のことだ。柳家小三治さんの感想「40分待たせるだけのことはあるよ」を聞いてから一方的に馴染みの店になった。

 志ん朝さんはIの鰻を知らないはずだ。亡くなるまでの40年間、鰻断ちをしていたからだ。不如意が重なって悩んだとき、母堂に勧められたのだそうだ。丑寅(うしとら)の者は鰻を食べないと言われるが、志ん朝さんは昭和12年の丑から翌年の寅にかけての子。守護神・虚空蔵菩薩に仕える鰻は殺生しないほうがいい――。

 6代目三遊亭圓生が落語協会を脱会して記者会見を行ったあと、圓生は好物の鰻でメンバーをねぎらおうと当時麹町にあった名店Tへ誘ったが、志ん朝さんは鰻断ちを理由に同行を謝絶したと聞いている。

 好きだった鰻を人生の3分の2の期間断ったその意思の強さには感服する。志ん朝さん、食べたかったろうなあ!

 志ん朝さんが還国寺に眠ったあと、「志ん朝さんの身替りをするのだ」と勝手に名目をつけて時折り墓参の帰りにIに立ち寄っている。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。