落語 みちの駅

第十七回 酉の市
 今年の11月には酉(とり)の日が3日ある。十二支の酉だから12日ごとに巡ってくるわけで、年によって2日だったり3日だったりする。「三の酉(まである年)の冬は火事が多い」と明治生まれの東京っ子は判で押したように言ったものだった。

 テレビの報道で見る限り、「お酉様」「酉の市」「酉の町」は今もにぎわっているようだ。これまた判で押したように「東京下町の風物詩」というキャッチフレーズ付で紹介されている。世の中にはわかったようなわからない「ことば」がたくさんあって、小咄の題材ぐらいにはなっているし、そのあたりに要領よく着目すれば、そう大騒ぎをすることもなく味なマクラのひとつぐらいはものになるのではないか。

 東京では新宿の花園神社、目黒の大鳥神社などにも大きな酉の市が立つが、本場中の本場は台東区の鷲(おおとり)神社だろう。地下鉄日比谷線の三ノ輪または入谷が近いが、銀座線の浅草や田原町もそう遠くはない。日比谷線で行って帰りは浅草まで歩く人も多い。

 地下鉄がなかった時代からのこれは定番「酉の市」観光ルートだった。いや、鷲神社の背後には「吉原」があって、男の参詣者たちはたとえ冷やかしにせよ吉原の空気を吸って浅草へと流れた。

 年齢とともに人混みがきらいになってお酉様へも久しく足を運んでいないが、「先人」たちのたどったこのルートを慕って、以前はよく酉の市から浅草への散策をしたものだった。七〇年代前半までは旧赤線の家並みが名残をとどめていた。

 今はほとんど別世界の観があるようだが、落語に心ある人は一度はかのロマンチック街道に足跡を残してほしい。11月17日が二の酉、29日が三の酉なのでぜひ。

 大きく高価な熊手に手が出ない人は神社で売っている掌ほどの小さな熊手をお求めになるのが安全。

 酉の市を舞台にした噺はないにひとしいが、「鰍沢(かじかざわ)」では「たしか二の酉の晩に」という追憶のせりふがある。「唐のイモを踏んずけて」とも言っていて、以前はその芋を売っていたが、近頃はどうなのだろう。


著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。