落語 みちの駅

第十六回 小金治さんと志の輔さん
 11月3日は桂小金治の一周忌だった。落語芸術協会の籍から離れて半世紀ほどにもなり、初代桂小文治に入門したときも、すぐの兄弟子はのちの十代目、つまり先代の桂文治だったのだから、落語界にとってはやはり過去の人ということになるだろう。

 その小金治さんで通算2タイトルのCDを制作した。通算で2というのは、大きな顔のできる実績ではない。その1とその2がひどく時間的にかけ離れている証拠だからだ。その1はLPとカセットテープ(今はCD化)、その2は訃報後の掘り出しCDで、両者の間には30年の空白がある。

 その1を手がけた80年代の初めにはあと何タイトルかの展望を抱いていたのだが、結果は60歳手前と80歳前後の桂小金治像を1体ずつで終わった。残念、申し訳なしの気持ちは少しばかりあるが、振り返って思えば、平成も四半世紀が経過した時点での、桂小金治という異色の落語家の見送り方として案外ほどがよかったとも思う。

 80年代初めの小金治さんは30歳代の超有望新人落語家の芸をそのまま保存する人だった。四半世紀のブランクの間に少しの型崩れもなかったのはミラクルで、その芸を広く世に出すことは低迷期に入りつつあった落語界へのひとつのシグナルにはなったはずだ。晩年の小金治さんには演者の絶えている「渋酒」をしっかり復演する人の値打ちがあった。その二つの姿をどうにか音に残すことができたことにはなる。

 ことしの11月3日、文化の日に先がけて立川志の輔さんの紫綬褒章受章が発表された。若めの受章という声もあるが、芸術選奨の受賞が早かったことからすれば順当なところだ。志の輔さんの落語は当節の平均的落語観とはだいぶちがう表現域に達し、それがマジョリティを獲得している。近未来の落語史は志の輔さんをエポックメーカーと記すだろう。

 むろん小金治さんと志の輔さんとでは、タレントとしてのあり方も全く別種だが――。


著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。