落語 みちの駅

第十四回 10月朝日名人会/円蔵さん
 10月17日(土)PM2時から朝日名人会の第153回公演。柳家権太楼さんがとてもいい。演目は「佃祭」。発端の次郎兵衛夫婦のやりとりと末尾の与太郎のくだりをカットした流儀。悠々マイペースで自然に噺を運ぶ大家の境地に達している。

 十年ほど前までは表現意欲のあふれ過ぎか、あのまたとない個性に「アク」を感じる向きもあったろうが、今の権太楼さんは一皮以上むけている。ひと頃の病気がある種の達観を呼んだのだとすれば災い転じて福の典型だ。

 病気といえばこの日の桂歌丸さんもどっこい健在ぶりを示してくれた。今年5月の第149回で長講「塩原多助一代記・あおの別れ」を演じて(すでにCD化)、来年5月に続編をやって頂くため、今回は軽く「長命(短命)」でお願いした。軽快に、ではなかったが、手を抜かない楷書の高座。「おれは長命だ」のサゲを“タイムリー”と感じた人もいたようだ。

 この会の前日に8代目橘家圓蔵さんの訃報が流れた。月の家圓鏡時代の笑いのマシンガンぶりを知る人にとっては、圓蔵という名跡のフレームに自分をはめるべく苦闘した観もある30年間を複雑な思いで回想することだろう。

 でも私は「穴どろ」「心眼」などで垣間見えたちょっぴり哀愁の漂うペーソスが懐かしく、本領の「寝床」「火焔太鼓」に劣らず評価を捧げたい。「品川の圓蔵」と呼ばれた4代目以降ではいちばんの「圓蔵」だったと思う。

 報道が述べない話をしよう。昭和の初めまで「橘家圓蔵」は「三遊亭圓生」になるべき名前とされていた。圓生6代のうち半数の3人(2、5、6代)が圓蔵から圓生になっている。品川の圓蔵もあと数年の命があれば圓生になっていたはずだ。

 昭和戦後に6代目圓生がなぜか8代目桂文楽門下の月の家圓鏡に「圓蔵」を譲って圓蔵・圓生の縁は切れた。そのときの7代目圓蔵の愛弟子が亡くなった8代目圓蔵さんだった――。



2015年10月17日(土)

第153回朝日名人会

目黒のさんま 鈴々舎馬るこ

きゃいのう 古今亭志ん丸

長命 桂歌丸

仲入り

佃祭 柳家権太楼

後家殺し 林家正雀

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。