落語 みちの駅

第十二回 志ん朝の流れは絶えず
 10月1日は志ん朝忌。平成13年のあの日は冷え冷えとして小雨が終日降り続いた。あれが涙雨(なみだあめ)というのだろう。十年ひと昔ということばがあるが、その1.5倍の時が過ぎた。

 志ん朝が敬愛してやまなかった八代目桂文楽の「富久」で主人公・一八(いっぱち)がなけなしの一分をはたいて富札を買う際、彼はその金を懐から取り出して「古川に水絶えず」とひとりごつように言う。落ちぶれた身を気づかってくれる相手への気配りと見栄が混ざった間接表現がいかにも江戸っ子らしく、好もしいフレーズだ。

 干上がったかに見える古い川にもどっこい水は流れている。痩せても枯れても幇間一八、富の札一枚の代金くらいは持っていますよ――。

 世の中は去る者日々に疎しで、どうしたって現役の落語家の派手な活動が目立ち、故人は陰に隠れやすい。またそうでなければ明日という日さえ来ないわけだが、例外はあって、三代目古今亭志ん朝の録音や録画はいまだに尽きることなく世に出てくる。志ん朝の生前はかく申す私がさせてもらった三百人劇場中心の録音しかなく、志ん朝自身も「芸は消えてこそよし」をモットーにしていた――、という状況が続いていたのだが、それはもう昔語りとなった。

 じつは来年春にもうひとつ、志ん朝の未公開録音のCDセットが出ることになっていてタイトルは「志ん朝 東宝」になる。志ん朝にはゆかり深い往年の「東宝名人会」の記録録音集で、音源の選択と構成のお手伝いをさせてもらった。記録といっても隠しどりの類ではなく、志ん朝の声は鮮明、客席の反応もクリアーに聞こえる。綺麗な芸は綺麗な音でなくちゃ!

 演目数は30席超。ホール落語と寄席の中間的な会だったから、「幇間腹」「巌流島」「粗忽長屋」「のめる」などおそらく初耳の演目があり、特典盤には「蒟蒻(こんにゃく)問答」やサゲまで行っていないがこれまた珍品の「鮑のし」があって、演目予告のない会での、伸びやかな志ん朝落語が存分に楽しめる。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。