落語 みちの駅

第七回 もういちど圓生忌に
 前回記したように8月24日に6代目三遊亭圓生の墓参をした。遺族が高齢なので37回忌の法要はないと永隆寺では言っていた。直弟子だった三遊亭生之助さんの墓前にも手を合わせた。6年前に他界、6代目に尽くし、多くの圓生ネタを忠実に伝える役割をした人だった。

 「37回忌」で思い起こすことがある。1976年1月後半、5代目圓生の37回忌が営まれた。5代目は1940年1月に他界している。

 6代目は前年の暮れにこう言った。

 37回忌の次は50回忌、そこまで、あたくしはもたないと思う。ですからね、これがあたくしの手でするおやじの最後の法事てえことになるわけで、どうぞご出席くださいまし。

 5代目圓生は私の生まれる前々年に世を去った。50代だったから長寿であれば戦後のラジオ落語全盛の頃まで活躍したであろう世代の名手にして大物だったが、とにかく私はその高座に接することがなかった。何か現実感が希薄なのは当然のことだが、6代目と仕事をしている身なので出席した。寺での法要は近親・門人のみで行い、私たちは日曜日の昼に新宿の大きな中華レストランに集まった。

 8代目林家正蔵、6代目春風亭柳橋、5代目古今亭今輔などもその場にいた。私の円卓での隣席には鈴本の先代の席亭がいた。当時は落語のレコードを制作する者など他になかったので、私一人が席亭連の席におさまったわけで、隔世の感この上もない。

 5代目が長生きせず、6代目が頂点で活躍中だったので37回忌が盛大に営まれたわけで、近頃一般では27回忌や33回忌も内輪だけでしたり、全くやらないことも多い。あの当時私は37回忌すなわち36年の過去を歴史のように遠く感じたものだが、6代目と会えなくなった同じ年月はひどく短かったように思われる。歴史は遠く、体験には現実感が残るということなのだろうか。

 若い人たちも6代目を名人と讃えているが、きっと私の思いとは、どこかで別物なのだろう。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。