落語 みちの駅

第六回 圓生37回忌
 8月24日午後、世田谷区北烏山の永隆寺へ。来月3日の6代目三遊亭圓生37回忌の墓参。かつてはここで営まれる法要の末席に加わっていたのだが、近頃は単独行動にしている。静かで、邪念の言動と無縁なのがなによりだ。

 節目の忌日を目前に当代圓楽さんが発言をしたそうだ。さっそく、それについてのヤジ馬コメントが横行しているらしい。相変わらずのことだ。そんな反応も織り込み済みの、いささか政治的火付け行為と見ておこう。

 伝え聞くところでは、圓楽さんは多分にスローガン的総論を述べたまでで、具体的に新たな局面が開けたとは、――ヤジ馬が何をどうパアつこうと、私には全く感じ取れない。

 「五代目圓楽一門会」の実質的リーダーとして、この際ノーコメントでもいられないという役割意識はあっただろう。だが大所高所風に結論めかしている落語界の未来図などは永遠の御題目であることは、この数年間で一段と明らかになっている。

 圓生の名跡については数年前に一騒動あった。争奪戦とは無粋極まりなしだと思ったが、結果は密室の暗闇だったことが明るみに出て、とてもよかったと思う。5代目圓楽さんが7代目圓生になっていれば何事もなかったのに、そうしないまま他界した。となれば次席の直弟子が浮上するという常識が機能せず、ことは暗礁に乗り上げた。「とめ名」の文書を利用したり無視したり、一貫性がなかったことも火に油を注いだ。

 圓窓さん以下が協会に復帰したのは6代目未亡人の意向だったから、これは継承権とは関係のないこと。とめ名に署名した立場ではっきり申し上げれば、とめ名は粗悪な圓生誕生の抑止効果までが役割で、拘束力などない。

 「名前てえものは一門や家族のものというよりもまず、落語界のものでして」と生前の6代目圓生は言っていた。いつか、今の若手の中からよい7代目が生まれるならば、6代目の遺志は叶うことになるのだが―――。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。