落語 みちの駅

第五回 不死鳥・歌丸さん
 八月十一日昼の国立演芸場は中席の初日で、この日から桂歌丸が十日間十一公演、トリで三遊亭圓朝作「怪談乳房榎(かいだんちぶさえのき)」の長講をつとめる。四月中席でも歌丸さんは十日間にわたってやはり圓朝作の「塩原多助一代記・あおの別れ」のネタ下ろし長講をやっているが、その後は入院しているほうが多い日々だったので、はたしてこの八月中席で元気なところを見せられるか否か、注目を集めていた。

 結果を言えば、四月にまさる矍鑠とした高座ぶりだ。四月の「塩原」では板付き、つまり幕を引いて高座への出入りの姿は見せなかった。今回は板付きに加えて膝前に釈台を置いたから、一見は症状が一段進んだことになるが、これは入院が長引いて脚部の筋肉がいっそう薄くなり、正座を一時間も続けては痛くてたまらないためだという。

座り方より大切なポイントは声の力と間のリズムだ。芯に体力があり、表現意欲旺盛にして頭脳明晰であれば、噺家は張りのある調子で淀みなく噺を進め、客席を惹きつけることができる。

 開口から一分間ほどは声が堅かったが、たちまち調子を回復して六十五分間、少しの乱れも滞りもなかった。ネタ下ろしの「塩原」とちがい、長年手塩にかけた「乳房榎」なので余裕があったのだろうが、堂々大真打ここにありの名高座だった。

 七十代後半の年齢でこれほどの意欲的口演を続ける噺家は往年の六代目三遊亭圓生以外に知らない。歌丸さんは型でしゃべっているからできるんだ、と軽視したがる同業者もあるが、型を崩さず、そこに生命を吹き込むのはそれ自体が至難の業だ。

 自分のキャラクターを軸にして人気を得るのももう一つ至難の業にはちがいないが、老いて、また患って崩れが生じたとき、キャラクター派は無残な姿になりがちだ。型派は息のある限り芸を保つことができる。

 不死鳥・桂歌丸の回復をまずは讃えたい。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。