落語 木戸をくぐれば

第82回「駕籠の話」
 明治になって人力車が普及するまで駕籠は身分の上下にかかわらず利用した代表的な乗物だった。街道筋・宿場の駕籠は別として江戸など大都市の町駕籠には辻駕籠と宿駕籠とがあった。辻駕籠は拠点を持たない駕籠屋で市中を流し歩き、辻々で客を拾うところから生まれた名称だ。



 宿駕籠はタクシー会社のようなもので、店を構え何人もの駕籠かきと何挺もの駕籠を持っていた。大きな宿駕籠には支店もあって、客はそこまで出向いたり、使いをやってそこから駕籠を呼んだりした。



 一人の客を二人がかりで担いで行くのだから人件費の低い時代とはいえぜいたくなことだが、『大山詣り』にあるように三人あるいは四人で担ぐ駕籠もあった。駕籠が大きいわけではなく、駕籠かきの体力負担を軽減して速度を上げる。むろん料金は上がるし酒手もはずまなければならない。いわば高額特急便だ。



 普及品の四つ手駕籠は垂れをめくって出入りをする。上級品のあんぽつ駕籠は板の引戸がついていてその開閉で出入りをする。『代脈』の駕籠は名医の自家用なのでこのあんぽつ。怪談『真景累ヶ淵――豊志賀の死』でもあんぽつなのは重病人を乗せるからだが、乗せたはずの病人の姿が忽然と消える。その恐怖を表すには、怯えながら引戸をそっと開けて確かめる演技が効果的なのだ。



『蔵前駕籠』は四つ手駕籠。置き去りになった駕籠を囲んだ不逞ふていの浪士たちは駕籠の内部からの反応がないのを怪しみ、不測の反撃を警戒して距離をとったまま刀の先端で垂れをめくり上げる。ここは録音ではわかりにくい演技だが、引戸の駕籠ではこの場に適さない。



 大名や高位の武家が乗るのは本来駕籠とは言わず「乗物」なのだが〝乗物″が普通名詞になった今日では紛らわしい名称になった。構造も堅固な木張りで〝籠″的な要素はない。出入りも引戸だ。殿様が垂れを上げて雁首を出すようでは貫禄がない。引戸だって殿様は自分の手で開けたりはしないものだ。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。