落語 木戸をくぐれば

第80回「不動と火焔」
『不動坊火焔』という噺がある。武蔵坊弁慶みたいだが、これは聴いておわかりのように講釈(談)師の芸名だ。ただし彼はすでにこの世の人ではないので登場人物とはいえない。彼の未亡人となったお滝さんをめぐる物語という次第。そのお滝さんが美しき長屋のマドンナであること、不動坊が多額の借財を残したことが話を噺に発展させた大切な要素だ。



 不動坊が多額の借財を……と記した。噺の中で家主も、また主人公や脇役の男たちもみんな「不動坊」「不動坊」と言っているが、これは講釈師に対する通例の名指し方とは少し違っている。



「不動坊」は講釈師の〝大手筋″、一龍齋や宝井、神田などと同じ「齋号」にあたる。三遊亭、柳家などの落語家の「亭号」の場合も同様だが、これだけでは芸人個人を特定することができない。一龍齋貞山なら「貞山先生」、柳家小さんなら「小さん師匠」と呼ぶのが慣習になっている。それに従えば「火焔が多額の借財を」残さなければならないが、誰一人そうは言っていない。齋号、亭号の機能を一般人より心得ている落語家がそう演じているということだ。この噺の原典の地・上方では題名さえ『不動坊』に縮めている。



 これはおそらく、「不動坊火焔」式の講釈師名がかなり古い時代のもので齋号と下の芸名とが明確に分岐しておらず、「不動坊」だけでも個人を特定できるほど個性的だからではないだろうか。落語家の古い名前には「朝寝坊むらく(夢羅久)」がある。



 かの武蔵坊弁慶は武蔵坊でも弁慶でもどちらでも個人を特定し得た。話芸の起源が仏教の説話にあるという説に賛成するわけではないが、名前の付け方、呼び方にはどこか通じるところがありそうだ。



 もっと平凡な講釈師名でもよさそうに思うのだが、死んだ人物の名前だけに特殊なほうが差し障りがない。不動明王像に付き物の「火焔」と「滝」を夫婦それぞれの名前にしたのはなかなか洒落ている。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。