落語 木戸をくぐれば

第79回「桂 小金治」
 桂 小金治は落語家だった――、とは妙な言い方だが、ここに一枚のCDがある。これは下北沢・本多劇場での独演会のライブ録音。小金治の〝復活″、つまり噺家カムバックを宣言したような会のメモリアルでもある(『桂小金治〈一〉「三方一両損」「禁酒番屋」』発売中)。



 一九八三年六月十四日という日附に私自身が驚いている。自分の仕事というものには局部的にせよ、つい先日のことのような実感の手触りが残っているので、第三者よりも歳月に感慨を覚えるものだ。



 〝復活″という花火付きの独演会だったが、そんなイベントがそれまでなかっただけの話で、その二年ほど前から桂 小金治は折に触れて寄席やホール落語の高座に上がっていた。



 ならば独演会を開いてはどうか。それを録音してレコードを発売してはいかが。その件で六本木・乃木坂間の白亜のマンションの二階にあった小金治オフィスを訪れたのは前年、一九八二年の初夏の午後だった。



 桂 小金治はまだ五十代後半、第一印象は快活でスポーティ。その頃すでにCDは世に出ていたが、落語はまだLPレコードかカセットテープ専門というご時世だった。



 桂 小金治は言った。落語はずっと好きなまま今日に至っているので声がかかればいつでも出演するが、独演会となるとなあ――。回答を保留しながら、小金治は落語について、また落語の思い出話を熱く語り続けてやまなかった。これほど落語ばかりを語る落語家に私は初めて出会った。



 若い人は小金治のプロフィールを知らないだろう。戦争直後に初代桂 小文治に入門して古典のホープと注目されながら松竹に入社し、映画全盛時代の名バイプレーヤーとなり、さらにテレビで売れっ子の司会者となった。ワイドショーの草分け「桂 小金治ショー」で売れ、正義感たっぷりの言動で人気があったのは一九七〇年前後か。



 翌八三年二月には古巣の落語芸術協会の上野・鈴本演芸場での昼の部の公演に参加していて私はその楽屋を訪ねた覚えがある。何度か会い、毎度熱い落語談議を聞かされ、企画は形を整えていった。



 独演会当日、会場のロビーはメディアや映画関係などからの祝花で埋まった。永 六輔、小沢昭一が並んで聴いていた風景も懐しい。完全な意味での復活は遂にしなかったが、桂 小金治は八十路にしてなお時折り落語を演じていた。



 亡くなったのは二〇一四年十一月三日。八十八歳で静かに、眠るように旅立ったと聞く。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。