落語 木戸をくぐれば
第78回「冗談落ちと噺の後半」
冗談落ちというのがある。
冗談で笑わせて落ちをつけることではない。落語の途中で噺を打ち切って高座を下りるときの締め括りとして「冗談言っちゃいけない」と言う手法のこと。寄席ではトリ以外の持ち時間が十五分ほどなのでこの手がよく使われる。
一応の切れ場で登場人物が何か奇抜なことを言い、その相手が、あるいは演者自身がこのひとことで応じ、ドッと笑わせて終わる。「お時間が参りましたので」というよりは落語らしく、客にそれなりの満足感を与えられる臨時停車駅を終点にするようなものというべきだろう。
冗談言っちゃ……と言わなくても中途完結が成り立つケースも多い。『真田小僧』は全部やると三十分かかる。寄席では真田という題の根拠に達する前にやめることが多いが、そこは仮りのサゲ(落ち)らしいポイントだから苦情も言えない。
そんなことが重なるうちに噺が二つに分化することもある。人情噺『おせつ徳三郎』は『花見小僧』・『刀屋』の二席に分かれている。『宮戸川』・『妾馬』・『品川心中』も噺が上と下に分かれ、下はほとんど演じられなくなってしまった。
『野晒し』も釣りの場の滑稽フィーバーの頂点で打ち切ることが多いが、この噺は後半が見捨てられているわけではなく、時間がたっぷりあれば本来のサゲまで演じられている。
それでも昭和前半にこの噺で定評があった三代目春風亭柳好は後半をあまりやらなかったようだ。反対に少し後輩の八代目春風亭柳枝は最後までやるのが売り物だった。
柳家小三治は時間があれば本来のサゲまでやる。独自な釣りのまくらもあるのでおそらく史上最長の『野晒し』になっている。八っつぁんの浮かれと幇間の浮かれに鮮明な色分けがあって屋上屋の弊に落ちないのはさすが。
古今亭志ん朝が『野晒し』の後半をやらなかったのは、サゲに「シンチョウ(新朝)」という名が入るため言いにくかったからだろう。
冗談で笑わせて落ちをつけることではない。落語の途中で噺を打ち切って高座を下りるときの締め括りとして「冗談言っちゃいけない」と言う手法のこと。寄席ではトリ以外の持ち時間が十五分ほどなのでこの手がよく使われる。
一応の切れ場で登場人物が何か奇抜なことを言い、その相手が、あるいは演者自身がこのひとことで応じ、ドッと笑わせて終わる。「お時間が参りましたので」というよりは落語らしく、客にそれなりの満足感を与えられる臨時停車駅を終点にするようなものというべきだろう。
冗談言っちゃ……と言わなくても中途完結が成り立つケースも多い。『真田小僧』は全部やると三十分かかる。寄席では真田という題の根拠に達する前にやめることが多いが、そこは仮りのサゲ(落ち)らしいポイントだから苦情も言えない。
そんなことが重なるうちに噺が二つに分化することもある。人情噺『おせつ徳三郎』は『花見小僧』・『刀屋』の二席に分かれている。『宮戸川』・『妾馬』・『品川心中』も噺が上と下に分かれ、下はほとんど演じられなくなってしまった。
『野晒し』も釣りの場の滑稽フィーバーの頂点で打ち切ることが多いが、この噺は後半が見捨てられているわけではなく、時間がたっぷりあれば本来のサゲまで演じられている。
それでも昭和前半にこの噺で定評があった三代目春風亭柳好は後半をあまりやらなかったようだ。反対に少し後輩の八代目春風亭柳枝は最後までやるのが売り物だった。
柳家小三治は時間があれば本来のサゲまでやる。独自な釣りのまくらもあるのでおそらく史上最長の『野晒し』になっている。八っつぁんの浮かれと幇間の浮かれに鮮明な色分けがあって屋上屋の弊に落ちないのはさすが。
古今亭志ん朝が『野晒し』の後半をやらなかったのは、サゲに「シンチョウ(新朝)」という名が入るため言いにくかったからだろう。