落語 木戸をくぐれば

第77回「落語と現実」
 日本の国が強かったといわれる時代があった。強いはずなのに敗北を喫した。それからしばらくして日本は豊かな国といわれるようになった。強さと豊かさとが同時期に両立しなかったのは、日本が山賊でも海賊の国でもなかった証拠だと言えるだろうか。



 豊かになった当座、「大きいことはいいことだ」としきりに言われた。なるほど豊かさと大きさは相性がよさそうだ。豊かならば大きな土地や家を持つことが出来る。



 だけど落語には、「大福餅じゃあるまいし、高けりゃ大きいってもんじゃない」という名言がある。たしかに骨董や美術品では、大きさは値打ちと無関係。



 では、『菊江の仏壇』の人が隠れられるほどの大きな仏壇は、あまりよい趣味ではないということになる。貧富においても住宅の大小でも差が縮んだ現代日本の生活感覚からは、巨大仏壇などナンセンスに思われるだろう。



 だが古典落語を生んだ時代にはずいぶん大きな仏壇があって、今でも地方の旧家では大切に護り続けているようだ。仏壇は先祖の住居だから、せいぜい広くしてあげたいと思うのだろう。



『菊江の仏壇』の豊かな商人も古墳を造るほど太い了見だったわけではない。せめてもと仏壇だけは大きくしたのだ。



 一方、大きな仏壇はどんどん人を入れてしまう、つまり家族が早死をするといって忌む考えも昔からあった。



 いずれにせよ、物の大小は落語の都合で決まる。あんどんやローソクの時代に仏壇の内部に潜む白薩摩の着物と洗い髪の女は一幅の美しい幽霊画だ。



 大小は噺次第でどうにでもなるもの。王朝時代の舞楽で用いた火焔太鼓は並の家では天井につかえるほど背が高い。厚みはないが大判型で、とても人が背負えるものではない。背負えるほどの小型の火焔太鼓もあったのだろうが、それでは高価に売れそうもない。



 そんなことを考えずに遊び心で聴こう。落語はいつも、現実に対して即つかず離れずを極意としている。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。