落語 木戸をくぐれば

第76回「立川はタチカワではない」
 亭号といえばすぐに頭に浮かぶのが三遊亭、春風亭、柳亭、三笑亭、古今亭、入船亭、笑福亭など。亭が家に代わって柳家、林家、橘家、三升家、翁家、さらに舎の字で鈴々舎、庵の字で桃月庵などがある。



 亭も家も舎も庵も家屋、少なくとも屋根のある施設を表している。家屋の内に噺家がいてお慰みの話をする。それが芸名の基本構造。



 亭や家の字を省略した芸名もあるが、この基本は変わらない。代表的な「桂」にしても家や亭の意味が隠されていると思っていい。



 いずれにしても粋で風流な、あるいはユーモラスなイメージのある文字が使われていて、春風亭柳枝、柳亭燕枝などの永らく空白になっている名跡にも春の、また初夏の江戸の風物が匂うようだ。



 立川を「タチカワ」と読む人がいまだに少し残っている。立川談志が、弟子の立川志の輔がこれほど著名になっても、落語門外漢はタテカワと読むことを知らない。



 それほど東京の立川市が発展して誰もが知る地名になっているということだろう。だが立川市は明治の鉄道省がのちの中央線をあの地に敷くまでは、ほとんど無名の原野だった。その地名よりは亭号・立川のほうが由緒がある。



 二百年を超える昔、落語家の始祖のような一群の人々の内でも筆頭格の大物に立川焉たてかわえん馬ば――烏亭焉うていえん馬ばともいう人物がいた。立川と号した、あるいは言われた根拠は本所の竪川あたりに住んでいたことにある。現在も墨田区にある江戸の運河の名称。堅川では芸名として文字が堅いので立の字に変わったのだ。



 明治期に四代目立川談志が「郭巨(かっきょ)の釜掘り」という珍芸で売れたが、その後渋い談志が二人あって立川流・家元を称した談志が現れ、多くの門弟を生んで立川の亭号の隆盛がやってきた。でも立川市がタテカワ市になる日は来るのかどうか。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。