落語 木戸をくぐれば

第72回「子別れ」
「子別れ」といえば落語の題名と思う人は多いが、日本の昔に子別れストーリーは数多くある。落語『寝床』のサゲ近くで義太夫に夢中の旦那は子どもが聴いて泣くのなら「宗五郎の子別れか、馬方三吉か」などと問う。



 歌舞伎「東山桜荘子(ひがしやまさくらのそうし=佐倉義民伝)」で名主・佐倉宗五郎(木内宗吾)は処刑覚悟で藩主の暴政を江戸の将軍に直訴すべく、妻子に別れを告げて雪道を遠去かる。「とと様」と泣く子に後髪を引かれる宗五郎。泣かせる場面で俗に「宗五郎の子別れ」という。



 近松門左衛門の浄瑠璃「恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)」で今は若君様の乳人(めのと)に出世している重しげの井(しげのい)はかつて不義でもうけた我が子・三吉が子どもながら馬子として健気に生きているのに出会い、母と名乗るよう三吉にせがまれるが断腸の思いで拒絶し、三吉は涙にくれながら若君を慰める馬子唄をうたう。



 これまた泣かせる場面。平成二十四(二〇一二)年に亡くなった中村勘三郎が子役だった一九六〇年代なかば、三吉で女性客の紅涙を絞らせていたのを思い出す。これは通称「重の井の子別れ」。



 子別れとは親子の離別のこと。江戸の昔とはいえ、物語になるほど悲しい子別れがザラにあったわけではないだろうが、現代とは違う理由での離婚は少なくなかったので、子どもがトバッチリを受けるケースはずいぶんあった。



 また庶民の男の子は修業のために十歳前後で奉公に出るのが普通だったので、これもまた小さな別離ではあったろう。総じて昔は親子が同居する歳月が短かく、それがかえって親子の情を深め、子別れストーリーを育てたのではないか。つまり、子別れの芝居を見て泣きながら、自分たちのほうがまだしもしあわせだと慰めたのだ。



『双蝶々(ふたつちょうちょう)雪の子別れ』という人情噺もあるが、これは大人に成長してからの別れなので趣きが違う。



 時代は移って子別れは物語の世界に残り、子離れ、親離れのすすめさえ耳にする此頃だ。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。