落語 木戸をくぐれば

第70回「名人もふつうのおじいさん」
 ふだん落語家はどんなふうに暮らしているのか。平成の落語ブームのトップランナーたちの日常はメディアにかなり紹介されて、基本的に同世代の一般人とそう変わってはいないということが知られるようになった。



 平成落語の大看板世代、つまり昭和三十年代入門組あたりから、落語家といえども同じ時代の人というイメージは少しずつ広まっていた。柳家小三治がオートバイやオーディオに凝っていることが周知になったのは、すでに昭和五十年代の頃だった。



 だが、明治に生まれ育った〝昭和の名人〟クラスとなると、平成世代からはその日常生活はもはや想像もつかないのではないか。



 かの五代目古今亭志ん生が洋服姿で外出したのは、次男の古今亭志ん朝の記憶ではたった一度しかない。それも戦時中の国民服のようなものだったというから、志ん生が進んで洋服を着る人でなかったのは明らかだ。



 十歳年下の六代目三遊亭圓生となると、ずっとモダンな面があった。背が高く肩の張った体型なので洋服が似合った。それでも、昭和三十年代は着物のまま街を歩く姿を見た覚えがあるが、四十年代以降は上着に替えズボンのなかなかダンディな紳士ぶりだった。サングラスをかければもう、噺家の散策には見えなかった。



 茶系統の服が好みで、紺系統はあまり着なかった。上下揃いのスーツは公式の場以外では着ない。それはしかし、結城袖の着物を愛用したセンスに通じるものだったようだ。着物に合わせた帯の選定には自信があるが、上着に合わせたネクタイには迷いが生じると言っていた。モダンなようでも明治の男だった。



 大相撲のTV観戦が好きだった。プロ野球も好きで、素朴に熱烈な巨人のファンで巨人が負けると機嫌が悪くなる。内弟子は巨人ファン以上に巨人の勝利を祈っていた。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。