落語 木戸をくぐれば
第68回「小さんの不思議」
子どもが見た大人と、その子が大人になってから見る大人は少し別物のように思える。子どもから見た同じ年頃の子どもと、大人になってから見るその年頃の子どもも、やはり別物だ。
子どもには中年の大人が偉そうに見えるが、老人から見れば中年はまだ若僧なのだ。
人生は一本道しかない。人間は子どもと大人の間を行ったり来たりすることが不可能だから、子どものときの直観が正しいのか、大人になってからの分別が当を得ているのかを決めることは出来ないが、子ども時代の印象がかなりモノを言い、後々まで尾をひくのは否定し難い。
少年時代に落語を聴きに行った頃は高座に入れ替わり立ち替わり「昭和の名人」とのちにいわれる噺家が登場した。昭和のなかば、三十年代の演芸界は活況を呈していて、桂文楽(八代目)、古今亭志ん生(五代目)を長老格として一晩に数人の大看板を目のあたりするのが日常茶飯の状態だった。
志ん生、文楽は六十代、三遊亭圓生(六代目)、桂三木助(三代目)は五十代。五代目柳家小さんはまだ四十代だったが、少年の目からはみんな雲の上の人だった。
志ん生、文楽はおじいさん、小さんはおじさんというほどの違いがあるのはよくわかる。だが、おじいさんもおじさんも少年にとっては同じく遠い存在だった。「い」の字があるなしほどの差であって、自分はいつになったらあんな年齢になるのかと思ったものだった。
少年にどれほど芸の判断が出来たかはわれながら疑問のままだが、四十の小さんが六十の文楽にヒケをとらない魅力と存在感をすでに示していた――、という思いは今も消えない。その後の噺家たちを眺め渡しても、これほど世代の壁を破った大物はいない、と思うのだが、それは小さんがスーパーだった証拠なのか、それとも私がいつのまにか大人になってしまったためなのか。
それは答えのない自問だ。芸事と長く付き合うとそんなことがいっぱいある。
子どもには中年の大人が偉そうに見えるが、老人から見れば中年はまだ若僧なのだ。
人生は一本道しかない。人間は子どもと大人の間を行ったり来たりすることが不可能だから、子どものときの直観が正しいのか、大人になってからの分別が当を得ているのかを決めることは出来ないが、子ども時代の印象がかなりモノを言い、後々まで尾をひくのは否定し難い。
少年時代に落語を聴きに行った頃は高座に入れ替わり立ち替わり「昭和の名人」とのちにいわれる噺家が登場した。昭和のなかば、三十年代の演芸界は活況を呈していて、桂文楽(八代目)、古今亭志ん生(五代目)を長老格として一晩に数人の大看板を目のあたりするのが日常茶飯の状態だった。
志ん生、文楽は六十代、三遊亭圓生(六代目)、桂三木助(三代目)は五十代。五代目柳家小さんはまだ四十代だったが、少年の目からはみんな雲の上の人だった。
志ん生、文楽はおじいさん、小さんはおじさんというほどの違いがあるのはよくわかる。だが、おじいさんもおじさんも少年にとっては同じく遠い存在だった。「い」の字があるなしほどの差であって、自分はいつになったらあんな年齢になるのかと思ったものだった。
少年にどれほど芸の判断が出来たかはわれながら疑問のままだが、四十の小さんが六十の文楽にヒケをとらない魅力と存在感をすでに示していた――、という思いは今も消えない。その後の噺家たちを眺め渡しても、これほど世代の壁を破った大物はいない、と思うのだが、それは小さんがスーパーだった証拠なのか、それとも私がいつのまにか大人になってしまったためなのか。
それは答えのない自問だ。芸事と長く付き合うとそんなことがいっぱいある。