落語 木戸をくぐれば
第66回「軍人と愛嬌」
芸人には愛嬌が肝心。
明治生まれの師匠の多くが弟子や後輩にこんな戒めをした時代があった。昭和戦後育ちの芸人は内心反発を覚えたのではないか。可愛がられる芸人であることの利点は理解しないでもないが、何も媚びることはなかろう。卑屈な芸人にはなりたくない。芸人だって同じ人間じゃないか。
明治生まれの芸人が無闇に遜へりくだっていたかどうかはよくわからない。時代によって考え方は変わるものだから、後世の意識で過去の是非を問うのはほどほどにすべきことだ。明治の戒めは実は別の意味合いを持っていたようにも思われる。
役者が一人舞台をつとめるにはよほどの実力、貫禄が欠かせないが、落語家は前座の頃から、ヘタでもなんでも一人で高座をつとめる。習い性となって頭ずの高い芸人になってはおしまいだ。それを愛嬌と表現したのは昔の言語感覚だったのではないか。であれば、愛嬌即卑屈と身構えては未熟な芸人といわれても仕方がない。
春風亭柳昇は戦争体験者、というよりレッキとした帝国軍人だったので、ときに高座で右翼的、好戦的発言を平気でしていたが、それで客席の感興が削がれることもなく、いつも朗かな笑いに包まれていた。
芯は武骨な人だったようで、いわゆる愛嬌とは縁がなかったのだろうが、語り口のフラがペーソスにつながり、その際きわどい発言にも押し付けがましさや説得調がなかったので、無欲の老人の昔話として受け入れられ、巧まずして愛嬌にまさる効果を挙げたのだった。
戦後育ちの〝目覚めた〟落語家の中には論客きどりで演説まがいを聴かせる者もある。それもいいが、聴き手は羊のように従順な人ばかりではない。
春風亭柳昇という名前は途中過程で名乗る例が多く、明治以降何人もいて、この柳昇を何代目と決めるのはむずかしい。それを一代で大看板の名跡にした柳昇には高座の第一声のように「大きなことを言う」資格がある。
明治生まれの師匠の多くが弟子や後輩にこんな戒めをした時代があった。昭和戦後育ちの芸人は内心反発を覚えたのではないか。可愛がられる芸人であることの利点は理解しないでもないが、何も媚びることはなかろう。卑屈な芸人にはなりたくない。芸人だって同じ人間じゃないか。
明治生まれの芸人が無闇に遜へりくだっていたかどうかはよくわからない。時代によって考え方は変わるものだから、後世の意識で過去の是非を問うのはほどほどにすべきことだ。明治の戒めは実は別の意味合いを持っていたようにも思われる。
役者が一人舞台をつとめるにはよほどの実力、貫禄が欠かせないが、落語家は前座の頃から、ヘタでもなんでも一人で高座をつとめる。習い性となって頭ずの高い芸人になってはおしまいだ。それを愛嬌と表現したのは昔の言語感覚だったのではないか。であれば、愛嬌即卑屈と身構えては未熟な芸人といわれても仕方がない。
春風亭柳昇は戦争体験者、というよりレッキとした帝国軍人だったので、ときに高座で右翼的、好戦的発言を平気でしていたが、それで客席の感興が削がれることもなく、いつも朗かな笑いに包まれていた。
芯は武骨な人だったようで、いわゆる愛嬌とは縁がなかったのだろうが、語り口のフラがペーソスにつながり、その際きわどい発言にも押し付けがましさや説得調がなかったので、無欲の老人の昔話として受け入れられ、巧まずして愛嬌にまさる効果を挙げたのだった。
戦後育ちの〝目覚めた〟落語家の中には論客きどりで演説まがいを聴かせる者もある。それもいいが、聴き手は羊のように従順な人ばかりではない。
春風亭柳昇という名前は途中過程で名乗る例が多く、明治以降何人もいて、この柳昇を何代目と決めるのはむずかしい。それを一代で大看板の名跡にした柳昇には高座の第一声のように「大きなことを言う」資格がある。