落語 木戸をくぐれば

第65回「貧乏長屋と高級長屋」
 長屋というものが絶滅したわけでもないが、珍しい存在になったことは間違いない。江戸東京博物館や下町資料館などにある実物サイズの長屋のセットを見た人は驚くだろうが、九尺くしゃく二間にけんの棟割長屋はひどく狭いものだった。
ツ、ツ、ツ(と歩む)ってほど広くないよ、ツってぇと外へ出ちまう、とひやかされる『野晒し』の長屋は、まず、九尺二間サイズに違いない。間口九尺・奥行二間だと流しや出入口の土間も含めた総面積で畳六畳分だから、なるほど外へ出るのに何歩も要さない。別名戸無し長屋の『長屋の花見』や、次の間がないため女房を押入れに隠す『青菜』は、そんな侘しいサイズが舞台だ。



『お化け長屋』の物件はそれよりだいぶ上級のようだ。古今亭志ん朝の場合は二畳、四畳半、八畳、小さいが縁側と小庭があると言っているから立派なもの。『寝床』の長屋もこの程度、というより一戸建ての貸家であるようだ。住人もその日暮らしの人ではなく、鳶頭、豆腐屋、提灯屋など作業場ぐるみである程度のスペースが必要な稼業柄に設定されている。



『三軒長屋』の舞台もかなりの高級長屋で、二階や庭のある構造になっている。三軒が一つ棟になってはいるが、いわゆる棟割長屋とは基本的に違い、住人相互の連帯感などまるでなく、意識がマンション型に自立している。



 江戸の長屋といってもピンからキリまで。九尺二間の棟割長屋では便所が各戸ごとにないのが普通で共同便所を使う。台所も共通の場合がほとんどだ。



高級長屋なら台所も便所も各戸にあるが、風呂は相当な家も持たず、銭湯を利用した。江戸の生活を今の東京の暮らしと重ね合わせてしまうと、落語に対して少々トンチンカンになりかねない。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。