落語 木戸をくぐれば

第64回「五銭の価値」
 志ん生は十代なかばで酒、タバコ、女郎買いの体験があったという。そこに多少の豪語があったとしても明治二十三(一八九〇)年生まれの彼が明治時代の廓くるわを知る人だったことは間違いない。志ん生が廓の噺をやれば嘘も誇張も歴史的事実になってしまう。



『五銭の遊び』という題はもともとは『白銅』で、廓噺の達人・初代柳家小せんがおもしろくまとめた噺といわれている。『白銅』では一般に通じにくくなったので改題したのだろう。



 五銭の白銅貨は志ん生より一年先輩で明治二十二年の鋳造。白銅とは銅とニッケルの合金。明治の五銭白銅貨に孔はなかったが大正期には孔アキになった。



 五銭で女郎買いをするとは非常識。誰もがそう思うほどの値打ちでなければ落語にはならない。五銭にはどの程度のバリューがあったのか。



 貨幣価値や物価と噺の関係は微妙にして厄介だ。噺が経済の変動について行けなくなるのは昔からのことで、それに目をつむるのが芸能の真髄を味わう知恵でもある。



 だからといって数字の単位をどうでもよいことにしてしまうのはかえって知恵のない話だ。志ん生が遊びまくっていた、噺の元祖・初代小せんが在世していた明治と大正の替わり目あたりに狙いを定めて「五銭」を検証してみよう。



 もり・かけそば(うどん)一杯で三銭。五銭では二杯食べられない。アンパン、ジャムパンが一個一銭から二銭。大福餅が一銭、納豆三銭、銭湯は三銭。



 活動写真(映画)は十五銭だから五銭では手が出ない。貴重品だったタマゴは二十銭、ビールがジョッキ一杯十五銭、大ビン二十銭。天どん十五銭とくれば五銭の女郎買いがいかに困難であるかがよくわかる。



 コーヒー一杯五銭が相応のところで、あとは乗り換え自由だった一人五銭の市電に乗っておとなしく帰ったほうが身のためだ。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。