落語 木戸をくぐれば

第63回「前座噺と大真打」
 落語の世界にはきびしい身分制度がありまして、と平成の若手はよく高座の口火を切る。きびしいかどうかは一概には言えないが、好き勝手に変えることが出来ないシステムには違いない。



 彼らは一様に、見習い、前座、二ツ目、真打と順に並べた上でさらに、大看板、会長、ご臨終などと余計な尻尾を付けて笑わせる。



 身分というのなら真打までだ。頼りない新米でも名人でも真打は真打、そこが行き止まり。見習いはまだ志願者の段階で身分以前。前座は一応要因として登録されるが、まだ正規兵ではない。



 大看板は世間の評価ランクであって身分ではなく、誰もがなれるわけでもない。会長に至っては同業者組合の役員の長。身分ではなく、ますます誰もがなれるはずもない。ご臨終だけは全員に平等。



 前座は楽屋の雑務や、高座進行の下働きを黙々とこなし、ごく浅い、つまり早い時刻の出番で噺をしゃべる。客はまばら、まだ本気で聴く気になっていない段階だ。それでも一生懸命にしゃべる。それが修行というもの。やる噺はといえば、登場人物が二人、せいぜい四、五人どまりで演じ分けがしやすく、またシンプルな構成の短いものばかり。シンプルな噺に稚拙な演技ときては、どこでどう笑えるのかと怪しまれるほどだ。



 そういう「前座噺」を老練の大家が演じると同じものとは思えないほどにおもしろく聴ける。シンプルなだけにストレートに笑わせられる。思いがけない味わいさえ堪能できる。



 五代目柳家小さんはよくそういう楽しみを与えてくれた人だった。『たらちね』は前座噺の代表格だが、小さんで聴くと品位と奥行きもある長屋物だということがよくわかった。『狸の札』『狸賽』『狸の鯉』などの一連の「狸ばなし」となると、昭和戦後を通じて小さんの独壇場だった。今でも前座や二ツ目がよくやっているが、五代目小さんとくらべては気の毒なほどに品物が違う。



 自分の柄が狸っぽいという自覚もあったのだろう。色紙には好んで狸の絵を画いていた。師匠の四代目小さんに「狸の了見になれ」と言われ、「狸の了見とはどういうものかわからない」と芸談で語っているが、自分の弟子たちにはやはり同じことを言っていたようだ。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。