落語 木戸をくぐれば

第61回「長篇人情噺」
 寄席の一興行の日数は昭和期に次第に十日単位に短縮された。それまでは十五日制で、一ヶ月を上席・下席に分けて運営していた。



 長篇の続きもの人情噺はそうした興行体制の下で生まれたもので、トリの真打は十五日間かけてそれを通し口演した。



 二日目以降はそこまでのあらすじをかいつまんで述べるためストーリーが純粋に十五日分の量をもっているわけではない。また日々の切れ場にはヤマ、すなわち盛り上がるポイントがあって、そこで明日への期待をもたせ、客の足を誘う。



 また多くの場合、噺には裏表をなし、あるいは縦糸・横糸の二つの筋があって、それを日替わりで交互に演じ、十五日目の大団円では両者が合流する。



 たとえば『怪談牡丹灯籠』では飯島家のお家騒動と幸助の仇討が縦筋、萩原新三郎と伴蔵夫婦をめぐる怪談が横筋。そして互いに絡み合う。接点になるのは新三郎と飯島の娘お露との恋愛。そのクライマックスが、カランコロンと駒下駄の音高く現れる幽霊というわけだ。



『双蝶々ふたつちょうちょう雪の子別れ』はそれほど長大な裏表続き噺ではない。「双蝶々」とは人形浄瑠璃から歌舞伎にもなった『双蝶々曲くる輪わ日記』にあやかっていて、長吉、長五郎の他、与五郎、吾妻など人物名を借用しているが、ストーリーは全く別のものだ。



 長吉、長五郎の二人の長の字を蝶に置き換えて「双蝶々」と題している。芝居の『曲輪日記』には濡髪長五郎・放はなれ駒ごま長吉の対決場面があるが、噺の長五郎は影が薄い。



 長篇人情噺は興行日数に合わせて筋を作る面があるので、どうしても本筋を逸脱した場面や無駄な絡みがありがちで、それらを整理圧縮すれば何席かのすぐれた噺に変身することがある。



 十五席の悠長な噺はもう時代に適わない。いわゆるいいとこ取りで名場面を残す時代に入っているのではないか。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。