落語 木戸をくぐれば

第59回「題名」
 おもしろい噺をお聴かせ申します。それが落語の事始。まず最初の頃は噺に決まった題名などなかった。



 次第に繰り返し演じられる噺が現れ、「作品」めいた意識が生じて、かりそめの題名が生まれ、寄席の興行形態が整う過程でその「仮題」の有用性も増したのではないか。それでも当初は、楽屋での便宜が優先していて、題名は客に公表されるものではなかった。



 今でも寄席の落語は題名予告がないのが原則だ。ただし楽屋には帳面があって前座が順次、演者と演題を記している。後続の演者はそれを見て前の出演者と「つかない」、つまりかぶらない演目を選んでしゃべっている。そんな成り立ちを物語るように、落語の題名には昔の識別符喋めいたものが今も残っている。



『富久』は「富の久蔵」の略だろう。『夢金』は「夢の金」、『妾馬』は「妾の馬」といわれるが、「妾で馬」ではなかろうか、と思う。『船徳』は「船と徳さん」か「船頭徳さん」か。



 作家が自分の小説に題をつけるような意識性がないので、落語の題名にはいいものもあれば妙なものもある。噺の底を割る、つまり種明かしをしてしまう題は芳しくないが、題ごと「古典」と考えてしまうのか、改良はいっこうに進まない。



『粗忽の釘』といえば粗忽者の噺だとわかってしまうが、どんな粗忽をしでかすのかは「釘」だけのヒントでは不明なので及第点。まして柳家小三治となれば類型的な粗忽者は描かず、集中性に極端な偏差のある人物像を創出するから、題名などどこ吹く風だ。



 この噺は原典の上方落語では題名が『宿替え』。宿替えとは引越し、転宅のこと。では『転宅』はといえば、結末をかなり暗示している題名だが、決して底を割りはしないので、これまた佳題の内だろう。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。