落語 木戸をくぐれば
第55回「しゃべれどもしゃべれども」
落語家はしゃべる商売だからみんなおしゃべりだ、と思うのは間違いで、楽屋でも、自宅でも口数の少ない人は多いものだ。
とくに一流の看板になる人ほど無口な人の割合は増すようで、あるいは一般社会よりもムッツリ屋の比率は高いかもしれない。
高座でしゃべることに集中する分、日常は黙っていたくなる、ということなのだろうか。
五代目柳家小さんはとくに寡黙をもって鳴る人だった。師匠の四代目小さんも無口だったので、二人がひとつ部屋にいながら一日中ひとことも交わさないことが多かったという。
それでも心が通じ合っていれば済んでしまう。会話が途切れるのがこわいようでは、取引関係も交友関係も、いや恋愛関係だったらなおのこと本物ではない、と言う人もある。
落語はことばが生命だが、ことばが多いのは自慢にならない。少なく、短いことばで多くのことを表現するのが話芸の値打ちだ。しかしそんな境地にはなかなか到達しないから、つい落語家はしゃべりまくり、くすぐりやギャグを重ねて爆笑を得ようとする。
師匠ともども生来無口だったためか、五代目小さんは動かざること山の如き風格の芸を築いた。無駄がないから、磨き上げて到達した境地は、派手にしゃべりまくる芸をはるかにしのいだのだ。
最晩年、紀伊国屋寄席で「居合抜き」を披露したことがあった。本物の刀を正眼に構え、彫刻のように微動だもせず、聴衆を長い長い沈黙の世界に誘い込んだ。落語より剣道が好きという小さんのことばを、私はこのとき初めて小さん流の芸の真理の表現なのだと思った。
とくに一流の看板になる人ほど無口な人の割合は増すようで、あるいは一般社会よりもムッツリ屋の比率は高いかもしれない。
高座でしゃべることに集中する分、日常は黙っていたくなる、ということなのだろうか。
五代目柳家小さんはとくに寡黙をもって鳴る人だった。師匠の四代目小さんも無口だったので、二人がひとつ部屋にいながら一日中ひとことも交わさないことが多かったという。
それでも心が通じ合っていれば済んでしまう。会話が途切れるのがこわいようでは、取引関係も交友関係も、いや恋愛関係だったらなおのこと本物ではない、と言う人もある。
落語はことばが生命だが、ことばが多いのは自慢にならない。少なく、短いことばで多くのことを表現するのが話芸の値打ちだ。しかしそんな境地にはなかなか到達しないから、つい落語家はしゃべりまくり、くすぐりやギャグを重ねて爆笑を得ようとする。
師匠ともども生来無口だったためか、五代目小さんは動かざること山の如き風格の芸を築いた。無駄がないから、磨き上げて到達した境地は、派手にしゃべりまくる芸をはるかにしのいだのだ。
最晩年、紀伊国屋寄席で「居合抜き」を披露したことがあった。本物の刀を正眼に構え、彫刻のように微動だもせず、聴衆を長い長い沈黙の世界に誘い込んだ。落語より剣道が好きという小さんのことばを、私はこのとき初めて小さん流の芸の真理の表現なのだと思った。