落語 木戸をくぐれば

第55回「しゃべれどもしゃべれども」
 落語家はしゃべる商売だからみんなおしゃべりだ、と思うのは間違いで、楽屋でも、自宅でも口数の少ない人は多いものだ。



 とくに一流の看板になる人ほど無口な人の割合は増すようで、あるいは一般社会よりもムッツリ屋の比率は高いかもしれない。



 高座でしゃべることに集中する分、日常は黙っていたくなる、ということなのだろうか。



 五代目柳家小さんはとくに寡黙をもって鳴る人だった。師匠の四代目小さんも無口だったので、二人がひとつ部屋にいながら一日中ひとことも交わさないことが多かったという。



 それでも心が通じ合っていれば済んでしまう。会話が途切れるのがこわいようでは、取引関係も交友関係も、いや恋愛関係だったらなおのこと本物ではない、と言う人もある。



 落語はことばが生命だが、ことばが多いのは自慢にならない。少なく、短いことばで多くのことを表現するのが話芸の値打ちだ。しかしそんな境地にはなかなか到達しないから、つい落語家はしゃべりまくり、くすぐりやギャグを重ねて爆笑を得ようとする。



 師匠ともども生来無口だったためか、五代目小さんは動かざること山の如き風格の芸を築いた。無駄がないから、磨き上げて到達した境地は、派手にしゃべりまくる芸をはるかにしのいだのだ。



 最晩年、紀伊国屋寄席で「居合抜き」を披露したことがあった。本物の刀を正眼に構え、彫刻のように微動だもせず、聴衆を長い長い沈黙の世界に誘い込んだ。落語より剣道が好きという小さんのことばを、私はこのとき初めて小さん流の芸の真理の表現なのだと思った。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。