落語 木戸をくぐれば

第54回「正直者も笑いを生む」
 落語は不条理ないきさつを通して条理を描くことが多い。不条理を貫き通すことは少なく、またそれでは笑いが空回りしかねない。



 頭のてっぺんから足の爪先まで条理が一貫していていたのでは、まるでおもしろい噺にはならない。



 ヘンテコな人物が現われてトンチンカンをしでかし、ばかばかしいストーリーが展開するが、そこに人の世の真相がチラリとのぞく。しかつめらしい結構な話よりも、そのばかばかしい笑い草のほうがずっと印象に残り、ちょっぴり人生を考えさせられる、となれば、それこそ落語の本懐という次第。



 そのために落語がよくとる戦術は道理vs.無理の構成。または知と無知の対比。



 道理を説き知識も常識も豊かな横町のご隠居と無知でわからず屋の八っつあんの対話は一問一答ごとに笑いを生み出す。



 演者は、また聴き手はさてどちらの側かといえば、どちらでもなく、誰もの内にご隠居と八っつあんが同居している。その比率と、比率への自覚は人それぞれ、というだけの話だ。そこで誰もがそれぞれに浮世離れしたその珍問答を楽しめるというわけ。



 例外はある。『井戸の茶碗』は清廉潔白な武士二人と正直で一本気な清兵衛の三人が主要人物だ。『甲府い』も信仰心の篤い正直で親切な人ばかりの世界。



 それでは噺がつまらないか?



 そうでもない。『井戸の茶碗』は藩士、浪人、町人それぞれの清廉のアングルが異なるので物事がまとまらない。しかも行き過ぎた潔癖がかえって他人に迷惑をかける。そんな人生と世相の苦笑すべき構図が噺の主眼になる。



『甲府い』も善意の塊りのような老主人の早トチリや、主人公の仕事熱心ゆえのゆとりのなさなどが笑いを生み、あるいは現代への皮肉にもなっている。親切も押し売りしてはぶちこわし――、になる寸前をサラッと描いて穏やかな笑いを醸すとは、なかなか心憎い。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。