落語 木戸をくぐれば

第52回「らくだ」
 駱駝は動植物一般の例にもれずで、新聞などではラクダと片仮名で表記される。落語の題であれば漢字も片仮名も不似合いで、従来通りの『らくだ』が好ましい。



 駱駝は漢字があるように中国周辺の遊牧民や西域の商人には大切な家畜なので、中国の人々には古来お馴染みの動物だったが、日本では絵や文物で知るばかりだった。



 その点では想像上の動物・竜に少し似たところがあって、日本では多少恐ろしい獣と思われていたようだ。



 日本に欧米型の動物園が誕生したのは文明開化期の明治初年で、それまでは動物たちを一個所に集めて観察する楽しみを知らなかったようだ。



 まるで動物に興味がなかったというわけではない。珍獣の類なら群衆は見物にやってくる。江戸の市中でふだんに見られる犬猫牛馬ではその対象にならない。



 特異な、変な動物は見世物興行の材料になった。それ一種、いや一頭もしくは一匹だけの見世物商売だから、動物園とは似ても似つかない。



 世にも不思議な「ベナ」だよ、さア見てご覧というので入ってみたら鍋が逆さに伏せてあった――小咄のインチキ見世物は決して嘘ではなかったらしい。



 駱駝の日本デビューは江戸後期で、オランダの商人が中国から牝牡二頭を長崎まで運び、見世物師の手に渡した。江戸の両国広小路と大坂(大阪)の難波新地で長期間見世物になり、大変なフィーバーを巻き起こしたというが、異国の地で長く暮らすことなく死んだという。



 実物を見ても恐ろしい動物というイメージはすぐには消えず、大きくて薄気味悪い奴を駱駝にたとえるようになって、それが落語の死せる「らくだ」につながった。



 動物への知識が進んで以降、駱駝は童謡の題材になるほど親しまれ、あるいは砂漠の国へのロマンを掻き立てる象徴ともなった。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。