落語 木戸をくぐれば

第51回「志ん生の不思議」
 没後三十年を過ぎても志ん生の人気は衰えることがない。多くの現役を依然として凌いでいる。



 その理由は何なのか。考えたが、なかなか、これだという結論に達しない。みんながそれなりに考え、それが寄り集まってもなお、よくわからないままに志ん生の人気は続いている。



 志ん生没してまだ日の浅い昭和五十年頃だった。とうに廃刊になって今はない季刊の落語雑誌に、志ん生を語るインタビュー特集のようなものがあって、長男の十代目金原亭馬生(先代)がいろいろと語っていた。



 身近な人の話だからエピソードは当然豊富だったが、では、父・志ん生はなんでこんなに売れたのかという話になると、どうもはっきりしない。息子で弟子の馬生でさえ、なぜこれほどの人気があったかの理由については答えられない。おそらく外側の者よりは何かをつかんでいるのだろうが、端的に表すのはむずかしいようだった。



 結局馬生は当時健在だった長老、八代目林家正蔵(彦六)と六代目三遊亭圓生のことばを引用して済ませている。正蔵師も、志ん生さんがどうしてあんなに売れたのかは「あたしにもわからない」と言った。圓生師は私(圓生)は道場の剣法、志ん生さんは野武士の剣法で「私は道場でなら勝てるが、野試合となったらだいぶ(志ん生に)斬られる」と言った。この圓生師の評がいちばん当を得ていると思う――と。



 が、圓生の説にしても主に比喩であって、なぜか――理由については触れていない。「なぜ」は、いまだに「謎」とほとんど同じようなものだ。



 だが、霧に閉ざされたままの景色がいつまでも多くの人から絶景と言われ続けるはずはない。つかめそうでつかみ所がない、――あと一歩、いや二、三歩の距離にありそうなその芸は、どこまで追っても何歩か先にあるのかもしれない。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。