落語 木戸をくぐれば

第50回「亭号と楼の字」
 柳家権太楼とはいかにも噺家らしい名前、と誰もが思う。戦後早くに亡くなった初代が売れっ子だったからそう思えるのだ、という人はかなり高齢の証拠。当代が「権」の字のイメージに適うおもしろみの持ち主だということが、この名前をいっそう落語チックにしている。



 往年の初代権太楼は、柳家三語楼の門下だった。師匠の三語楼もまた初代だ。これだけでも柳家○○楼が歴史の浅い名前であることがわかる。同じ柳家でも小三治は平成までに十代を数え、入船亭扇橋は九代、桂文治は十代、金原亭馬生は十一代に達している。



「楼」はもともと、亭、家、庵、舎、軒などと同様に家屋建造物を表している。つまり楼も柳家、三遊亭のような「亭号」にふさわしい字だ。「春高楼の花の宴」(荒城の月)というように、この種の文字の中でもいちばん立派な物件を連想させる。遊郭に遊ぶことを「登楼」と言うが、今でも旅館、料亭、中華料理店には「楼」が少なくない。



 噺家の亭号では古くから「五明楼」があって、今も五明楼玉の輔がいる。蜃気楼しんきろう龍玉も復活した。



 一九〇〇年に没した柳派の巨頭・初代柳亭燕枝は「談洲楼」と号した。号というものは本来に一語で亭も名も表す。少し遅れて二代目柳家小さんは隠居名のように「禽きん語楼ごろう」と称した。これも同様なのだが、このあたりから「楼」が亭号よりむしろ名前の字へとスライドしていったように思われる。



 字義を離れれば、楼は郎と同じ音なので、名前にしても耳に抵抗はない。まして楼の字の人気者が絶えず生まれれば、歴史の浅い名前もあっという間に定着する。



 もう、家と楼が重なってはおかしいという人はいない。字も名も初めに理屈ありきではないのだ。

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。